最近のこと

・書かずにいる間にものすごい期間が空いていた。その間、当然何もしてなかったわけでなく、あらゆることをして過ごしていた。むしろ、あらゆることをしなければならなかったから、書くことができなかったとも言える。

 

・12月と1月は学校の課題とフリーランスの仕事が忙しくてほとんど何もできなかった。期末だから課題があり、(おそらく)決算なので仕事が立て込んだ。その影響でいろんな展示を見れないまま会期が終わり、いろんな映画を見逃した。映画はあとになって配信で見た。

 

・2月は随分時間ができた。そしたらたくさん眠るようになってしまって、平気で12時間とか寝てしまう。1月のせいで就寝時間がおかしくなり、だいたい3時〜5時に寝るように。起きたら夕方ということもあった。しかし、しょうがない。ようやく引っ越ししてからきちんと掃除や片付けをする時間ができ、部屋が好きになった。駅から少し遠いけど、5.5万円の広くていい家。立派な柱があるのと、階段があるのが好き。コンビニと自販機が少し遠いのがネック。家賃は手渡し。2月はちょっと元気はなかった。人にあまり会わなかった。

 

・3月。最近はあたたかくなって、めちゃめちゃ元気。寒いのが苦手だと痛感した。2月は本当にテンションが低く「気づいていないだけでなんらかの精神疾患なのでは!?」と思っていた。いつもみんなこんなもんだろうと思って、鬱々加減をやり過ごしているが、実はそんなことないのかもしれないと気がついた。ずっと陽気に過ごせる人もいる。自分はあんまりそんな感じでもない。

 

横尾忠則『言葉を離れる』が良く、おおいに影響を受けている。デザインにおける態度は人それぞれで、自分はいま働いている事務所でその標準を作ろうとしている。そこで言われることは「体」の重要性だ。人間は絶対に肉体を持っていて、肉体から離れることはできない。そこで、肉体がつい反応してしまうような、思考以前の反応に引っかかるようなものを作るという態度を教えられている。私はそれを鵜呑みにしている。

それまでは言葉によって伝わるものが一番大事だと漠然と信じていた。というか、それ以外を認知していることをあまり認知できていなかったというか。例えば大きな滝を目の前にしたときに感じる「あれ」については感じることができず、むしろ「大きい!」「すごい迫力!」「水しぶきがすごい」のような言語が見えてしまっていた...というような。もちろんそういう風に感じているけれど、どうしたって言葉がついてきてしまう。言葉の伴わない感性をうまく使えてなかったというか。だから、事務所に入ってから最初のほうはコミュニケーションをとるのに難儀していた。相手の言葉の意味するところがあまりよく分からなかったから。いまではある程度分かるようになったのは不思議だ。

そういう意味でデザインを試みることによって自分は大きく変えられてしまった。非常に幸福なことだ。言語を習得すればそれで解釈するように、ある意味当然のことだと思うが、ここまで深いレベルで自分の価値観を変容させるものなのか、という新鮮な驚きがあった。自分は物理をやっていたから、言葉(数式)の指し示すものの正確さ(条件や適用範囲など)についてはすごく重きをおいていたと思う。そこには一種の厳密さが求められた。だから自然と言葉の示すものを一番大事にしてしまっていたと思うが、25,6歳にしてそこから自由になったようだ。豊かなことだと思う。

そして横尾さんの本にはこの態度について、さも当たり前のように書いてある。私はそれを読むことで驚きを再発見し、また感動してしまうのだった。キモい読書である。1年前の自分が読んでもピンとこなかったと思う。そういう意味で出会えてよかった本だ。横尾さんに会ってみたい。

 

・かといって、言葉は大事に使っていきたいと思う。言葉は水であり米だ。汚れていてはいけない。

 

坂元裕二の『初恋と不倫』もようやく読んだ。半年くらいまえに前の会社の先輩に借りていたのだけど、全然読めず、今になって読んだ。しかし読んだのは借りた本ではなく、たまたま百年で見つけて買ってしまった古本だ。装幀がきれいなので手元に置いておきたかった。葛西さんのデザインはいつでもひとつの参照点。借りた本は申し訳なくて移動中に読むことができない質なので、買ってからは一気に読んでしまった。2時間もかからない、あっという間。坂元さんらしい洒脱でユーモアに富んだ会話劇。2篇目が若干ダレて俗っぽくなっているというか、あまり好みではなかった。1篇めはとてもよくてルンルンしてしまった。坂元さんってもっと素直になったらいいのに。

 

・戦争が起きた。自分にできることはなんだろうといつも考えている。