いま生きているという冒険

私は受験をしている。7年ぶりのことだ。デザインの専門学校に入りたいと思っている。1ヶ月くらい前に決心した。突然のアイデアだったが、それは雷のように私を打った。すべてがつながったように感じた。それだけが答えだったのだ。翌週には上司に辞意を伝え、願書を取り寄せた。推薦入試があったから。
課題提出まで2週間しかなく、私は急いで課題とポートフォリオを作成した。昼は会社に行き、夜は入試の準備をした。必死に作って、窓口まで渡しに行った。その後で推薦入試の面接があったが、思ったよりあっさりと落ちた。

推薦入試に落ちて、私は結構ショックだった。
私はこれまで大事な試験に落ちるという経験をしたことがなかった。どこの入試にも落ちたことがない。悲しい...と思いつつも、これで私は私の人生を生きれている、とも思った。
それはどういうことかというと、私がこれまで入試に落ちずにきたのは、ある意味で私の力ではないと思っているということだ。それは私の努力というより、むしろ環境が生み出した成果に違いない。私が中学受験に受かったのは、小6の担任の勧めと家に金銭的余裕があったおかげだ。こどもちゃれんじからずっとベネッセと契約でき、受験のために家庭教師を雇うことができたのは、たまたま私がお金のある家に生まれたからである。
また、大学受験に受かったのは私立の進学校に入ったからだ。その学校にノウハウがあったから私は浪人しなかった。私立に6年間も通えたのも、私がたまたまお金のある家に生まれたからだ。

私はいま、自分のお金で自分のための受験をしている。ノウハウもなければ後ろ盾もない。これで全ての試験に落ちたら途方に暮れるしかないだろう。何をして、どうやって生きようか。そしてすでに一つ、落ちてしまっている。また受験料もかかる。嫌なことばかりで自信がなくなる。
それでも、私はいま生きていると感じる。ちゃんと楽しいし、ちゃんと誇れる自分であると思う。こんな気持ちになったのは久々なことだ。気持ちが軽い。何にだってなれそうな気がする。
この自分で生きつづけるのは、きっとすごく心配だし怖いし緊張することや嫌なことがたくさんあると思う。でも、その代わりに自分で自分の生を決められる自由と、自分の人生を生きている実感がある。軽さを手にしていられる。ようやく、実家や社会などの束縛から逃れられた、と感じる。

小6のクリスマスプレゼントに石川直樹さんの『いま生きている冒険』という本をもらった。平易な言葉で、とても大事なことが書いてあった。前向きな言葉だ。大人になってから一度だけ、石川さんに会って、握手をしてもらったことがある。
私は今になって初めて、石川さんの気分をちゃんと想像できるようになった気がする。私は自分で踏み出そうとしている。いま生きているという冒険へ。