20250730
20250730
ご飯を食べてから寝落ちをしてしまって、起きたら2時半くらいだった。シャワーも浴びていなかったが、どうにも今から浴びる気にならず、かといってまた眠れるような感じもしなかった。スマホはどこに行ったかなと手探りで探す。
起きた瞬間から、恋人から連絡が来ているかということが気になっていた。今日一日連絡が返ってきていなかった。彼女は朝早いアルバイトの日で、家に帰ってからも今日が〆切の仕事をやらないといけないと言っていた。だから連絡が返ってこないとしても、それは理解できることだった。
それでも、気になってしまうものは気になってしまう。
頭で分かっていても、気になるということは避けられない。アルバイトが終わってから別の仕事に取り掛かるまでの間、あるいはご飯を食べたりコーヒーを淹れたりするようなちょっとした隙間時間に返事を返そうとは思ってくれなかったのか。私は今日一日彼女の世界に一秒も存在しなかったのか。
私も一日仕事をしてたし、それである程度気を紛らわせられた部分もあった。でも何をしていても頭のどこかで連絡を期待していた。何度も何度もスマホを確認して、返事が来ていないことを確認して失望し、あるいは苛立った。私は一体何に執着しているのか。自分のあまりの面倒くささに辟易する。脂っこいものを食べたあとのように、胃が重く、固くなっていくのを感じた。
これは不安という感情なのだろうか。はたまた別のものなのだろうか。彼女が自分の知らないところで何かをしているんじゃないか、という不安があるわけではないようだった。ただ、連絡が帰ってこないことに対して私は不満を、そう、「満たされない感情」が沸き起こっているのを感じていた。じゃあ、何が満たされていないのだろう。私は何にこんなにも揺さぶられているんだろう。
20250528
20250528
最近は結構元気で、文章としてここに何かを書こうという気にはならなかった。最近も継続して抗うつの薬をほんの少しだけ飲んでいる。ドーパミンの量を調整する薬で、なぜかこれがよく効いている。
この間に書いていたものといえば、通っていた文章教室のために書いたエッセイ2本と数日分の日記くらいのものだ。精神的に参っているときのほうが書くことがある気がするが、それは単につらい気持ちを吐き出すためだったのかもしれなかった。
『サッド・バケーション』という本はその延長で作ったようなもので、自分の抱える「生きづらさ」(この言葉はあまり使いたくないけれど)みたいなものをエッセイとして書いた。
2年前くらいはそれでよかった。1冊目の本だったし、技術よりも"本質"みたいなもので作れればいいと思っていた。いまも同じように本質(核)みたいなものは必要だと思うけれど、あの時からいろいろな経験をして、もっとうまい文章を書いてみたいと思うようになった。うまいというよりは、いい文章と言ったほうが適切かもしれない。いい文章には、もちろんうまさも必要だと思う。うまく書くより、いい文章を書くほうが難しいのだと思う。
そう思うようになったきっかけは島田潤一郎さんの文章にある。去年から今年にかけてはじめて島田さんのエッセイ集を読んだのだけど、それがすごくよかった。『長い読書』という本だ。
クラシカルだけど朗らかで、声に出して読みたくなるような、お手本みたいな文章だった。保坂和志の文章にも近いんだけどあれほどタイトでなく、文章に流れる空間のゆったりさがちょうどよかった。温水プールでたゆたっているかのような気持ちにさせてくれる。
この本を読みながら、何を書いているかではなく読者にどのような「感じ」を与えるかということがかなり重要なのだと気付いた。それを文体と呼ぶのだろう。
漫画家の田島列島さんがインタビューで「自分の作品がまとう「雰囲気」って何か、
言葉になってたりしますか?」と聞かれたときに、「わたしは「風が吹いたらいいなあ」って。」「あるいは、夏に窓を開けたら夏の匂いがしますよね。そういう漫画になればいいなと思います。」と答えていたのを最近読んだ。
これはストーリーについて話したのかもしれないが、どちらかといえば言葉や絵自体の発する「雰囲気」についての発言なんだろうと思った。つまり、何を直接的なストーリーとして描くのかではなく、全体としてどんな感じが伝わってほしいのかを考えるということだ。
グラフィックデザインを始めたときに、師匠のYさんから言葉を変えながらこのようなことを言われていたが、理解するまで結構時間がかかった。それが文章にもあてはまるというのは最近知ったことで、目からウロコだった。
文体を作ることは一生かかる大仕事だと思う。それでも自分のためにやってみようと思う。やっぱり文章を書くのは楽しいし、自分にとってやる意味のあることなんだろうから。仕事としてのデザインだけをやるのではなく、他の表現方法を持っておくことも健康的なことなんだろう。
最近、文章を書くことの効能を人から教わった。その人は本当にいい顔をして「文章はいいものですよ」と話していたので、私はその言葉を信用している。『僕は勉強ができない』にも書かれていたけれど、いい顔をしている人の言葉は信用できると思っているから。
20250406
最近はずっと精神的に調子が悪くあまり何もできていない。大人数が会する場所や、人と一緒にどこかに行く用事も「調子が悪い」と言って休ませてもらっていて、なんというか、人と会いたいが会うのがしんどい、みたいな謎の状態になっている。少なくとも大人数・不確定は厳しい。
例年冬になると調子が悪くなって、春になると一気に良くなるということが多かったが、今年は暖かくなっても全然気分が上がらない。桜を見ても何とも思わず、春が来たのに楽しくない。私が元気なときは脳からなにか陽気の源とも言える成分がどしどし出ている感じがするのだが、今年はそれがなく、スイッチがオフになっている。
頭では「いろいろやりたい」という意識はあるのだが、脳と体を結ぶヒモがぷっつんと切られてしまっている感じがする。だから脳が命令を送ってもうまく伝わらない。何かが麻痺しているのかもしれない。あとやたら眠くて頭の中がもやもやしていたり、忘れっぽくなったり、胸が重苦しくて痛んだりする。
まあ、たぶんこういうのって軽い鬱状態なのだと思うけど、以前鬱だな〜と思って病院に駆け込んだときは今よりひどく、ご飯を食べているとなぜか泣けてきたり、終始頭の中が死にたい〜となっていたのでそれに比べたらマシだなと思う。ただ、鬱的な状態の出方にバリエーションがあるということを知らず、それで通院が遅くなった。
今回は月イチのカウンセリングのときに「ちょっとやばいかもです」という話をしたら、「別日に心療内科のほうでも診てもらって」と言われ、次の鬱っぽいときに予約・受診した。知らないうちにネットから予約できるようになっていてすごく助かった(電話はハードルが高かった)。
病院は老夫婦でやっていて、医療はおじいちゃん、カウンセリングはおばあちゃん。おじいちゃん先生はあまり薬を出したがらない人なのだけど、それでも「いつかやばくなるのが怖いです」と泣きついてお守り程度の薬をもらってきた。一度鬱になると、自分の心がいかにアンコントローラブルで不安定なものなのかを自覚させられる。ぐらぐらな地盤の上で地震を恐れて暮らしているようなものだ。
それからストレスの話になって「仕事はどう?」と聞かれた。「全然取りかかれなくて、先延ばしがすごいです」という話をしたら、発達障害のテストみたいな紙を渡された。「いや、自分ぜんぜん多動とかないですよ」と言ったら笑われて、「多動じゃなくても発達障害的なことはあるんですよ」みたいなことを言われた。「違うと思うけどね、念のため」とも。
私は気づけば「自分の人生は良くなっていくだろう」のような漠然とした上昇・成長への信頼感を失っていて、「ただどうにか死ぬまで生き延びなくては」という消極的なモチベーションで生活をしている。でもそれは世間一般の「普通」じゃなくて、でもそんなことにも最近まで私は気づいていなかった。たぶん大多数の人はなんとなく人生は豊かになっていくものだという前提を信じているし、それをベースに「何歳までに〇〇をする」といった計画を漠然と立てているんだと思う。ある程度みんなそう思っているらしいとカウンセリングで言われたことがあった。
私からはそういう前提はいつの間にか崩壊していて、崩壊後の世界が当たり前になっていたから、世間とのずれに気づかなかった。いや、気づくとこわいから、見て見ぬふりをしていたのかもしれない。なんかいっつも私は世間とずれているような感じがする。
いつもカウンセリングで話していると私は本当には何が言いたかったんだっけと思うことが多い。何かあるはずなのに、話そうとすると何を話したらいいのか分からないのだ。真っ白い壁から何かを見つけようとしているような途方もない気持ちになる。
でも、最近になって分かったことがあって、求めていることはすごくシンプルだった。生活すると湧き出てきてしまう「苦しさ」をどうにかしたいのだということだ。いろいろ頭の中で考えすぎて、親の話をしたり元恋人の話をしたりと右往左往していたが、根本はとてもシンプルだった。どうにか楽になりたいということだ。「生きづらさ」という表現が私は好きではないので使わないが、苦しい、誰か助けてくれという実感は確かにある。
こういう現実に開かれた裂け目みたいなものに、向き合うか、目をそむけ続けるか、と人生は二手に分かれるが、私は前者を選んでしまった。もっと別の生き方をしてみたかったと思うけれど、生まれ変われるとしても、もう人間は嫌かもしれない。
ひと段落日記20240130
1/30
いま複数走っている仕事があって、それぞれで単純作業+αの作業をこなしている。自分の好きなようにデザインをするというよりは他のデザイナーの作ったものの展開や修正といった内容。お金は普通にもらえるし、頭も使わないので楽ではあるのだけれど、なんとなく心が削がれていく感じがあってしんどい。納期もタイトで修正も多い。日を追うごとにしんどさが募っていくのがわかる。
これはどういうしんどさか。分からないけれど、自分を大事にされていないような感じがある。昔、単発でヤマト運輸の仕分けのアルバイトをしたことがあったが、そのときの感覚に近いような気がする。荷物の詰まった箱をある場所から別の場所に移す。技術も要領も必要とされない。ただ言われたことを言われた通りにやる。しんどさに長時間耐えることが一番の仕事だろう。頭も身体も慣れていくので、しんどいという感覚だけが残っていく。退勤後、朝5時の日差しを浴びながら「もう二度とできない」と思った。
いまの仕事はそこまでシリアスではないが、同じ性質があるように感じられた(もちろん音楽を聞いたり飲み物を飲んだりできるが)。私らしさが必要とされず、自分のコントロールできない基準で動かなければいけないこと。自分が失われていくことのしんどさ。
連続してタイトな締め切りを設定されたり、延々と意味のわからない修正作業を求められることが、ちょっとずつ自分を凹ませていく。それは外部から与えられたもので、ある程度普通な感覚であることは理解している。他方、ぞんざいに感じられる扱いの積み重ねによって、私は私自身を蔑視し、痛めつけているような感じがある。私は私に言う。「人にいいように使われる仕事して」「誰にでもできる仕事」「ずっとその程度だ」。内面化された声はずっと鳴り止まなくて、自分で自分をしんどくしてしまう。
生活するためのお金がもらえるのでありがたいが、それでもこの種の仕事はもうしなくていいや、という感じがある。30歳も目前となってきて、自分を大事にしない働き方ができなくなってきた。若い頃はある程度押し殺すことができたが、今は軽んじられることや理不尽な扱いがあればちゃんと分かるし傷つく。私は誰かを養う必要もないので、稼ぎは自分が生活できるくらいあればいい。それよりも人に大事にされたり楽しそうな仕事をすることに注力していきたい。食べるものが自分の体を構成していくように、毎日する仕事が将来の自分を作っていく。「やりたいようやる じゃなきゃ頭狂うのが普通」と舐達麻も言っていた。
ひと段落日記20250122
1/22
去年の誕生日に日めくりカレンダーをもらったので部屋に置いている。どうせろくにめくらないだろう、そう思っていたが意外なことに毎日律儀にめくっている。めくることが少し楽しみでさえある。
カレンダーは小さくて黄色い。ぺりぺりと綺麗にめくることができる。剥がした紙はポイとゴミ箱に投げ捨てる。
「裏紙はメモとして使ったらいい」ともらったときに言われたが部屋が散らかるのでやめた。何かを取っておくのはいいが、取っておいても使わないことが多いから。そういうものは忘れたころに引き出しから出てくる。30年近く生きればそんなことも分かる。
1月は毎日が進むのが早くて困惑してしまう。毎日めくっているからか時間の流れの早さが手にとって分かる。もうめくっていいのか、そう思うことで感覚よりも早く走る時間のスピードを体感させてくれる。日めくりカレンダーはスピードメーター。生きる早さを計るんだ。
ひと段落日記20250121
1/21
朝からちゃんと働いていた。一冊の入稿が迫っていたので最終調整し、別の本の流し込み。そのあと手伝っている図録の修正作業。終わったら日記本の本文デザインを進める。
昼に焼きそばの麺を買いにセブンイレブンに行き、その足で少しだけ散歩をした。冬は太陽の光をたくさん浴びたいと思っていて、今日も少し日向ぼっこができる場所を探そうと思った。
小さくてもいいから川でも見に行こうと思い、善福寺川の流れているところを目指した。もう少し歩けば善福寺公園があって、そこは川の始まるところ。そこまで行くと1時間コースになってしまうから今日はやめておく。
ちょうどよく日の当たる場所を見つけたので、近くの自動販売機でおしるこを買って飲んだ。川沿いに並ぶ欄干にもたれかかって水が流れているのを見た。池より川の方が好きだなと思った。
家に帰って久々に焼きそばを作った。誰かにお昼を作る時にはすぐ焼きそばが思いつくが、自分1人だとなかなか食べない。何人分作ろうが焼きそばは等しく同じ味がして、それに安心した。
ひと段落日記20250116
1/16
祖父のお通夜があって埼玉の奥の方に来ている。うちからだと1時間半くらいで来れるのでそこまで遠くはない。お通夜を最後に経験したのは高校1年の時だったので、もう15年ぶりくらいになる。小学校の同級生が事故で亡くなってしまって、あれは本当に悲しい式だった。
祖父は、私がちょうどインフルエンザになっているときに肺炎で危篤となり、病院に運ばれた。そのまま2日後に死んだ。誕生日だったらしい。享年は89歳とのこと。誕生日はカウントしたのだろうか。
母に会い、従兄弟や叔父、叔母など親族に久々に会った。概ね5〜10年以上ぶりに会う人が多く、それでもあんまり記憶の中の姿と変わっていないのが不思議。この人には敬語で話していたっけ、いや、もはやタメ口のほうが、そんなことを考えながら曖昧な語尾で会話をする。私はたぶん一番アウェーなので、なんとなく気まずい瞬間もあったりしつつ、それでもこの機会に集まった人たちを包括する、うっすらと親密でなまあたたかい雰囲気が特殊でおもしろかった。初めて会う祖母の妹(大阪からやってきた)が結婚や孫の話をしたりするのを聞いて、世間的にはそういう話題や期待感みたいなものがなんとなく共有されているのよな、と再確認した。そういえば祖母の妹は関西弁でしゃべっていなかった。
明日は葬式。家に帰れる距離ではあるが、ホテルを取ったら?と提案されていたのもあって近くのビジネスホテルに宿泊している。20時過ぎには解散になったので、近くのデニーズで本を読んだ。『ここはとても速い川』はすごく良い小説。家に帰ったらやらなければいけないことがあるが、こういう宙ぶらりんな時間もそれはそれでいい。
父方の祖父母が死んだらどうしようか、と時折考える。葬儀は行かなくてもいいか、生きている人のためにあるものだし。お墓参りには行くかもしれない。私自身のために。