大きな蟻(12/5)

色んなことがある、と思う。なんの話だ、という感じだが、人生の話だ。私は人生の話をたくさんしたい。生きているといろんなことがある。10年前の私はきっと、今の自分がこうなってるなんて思ってもなかった。引越しに際して部屋の片付けをしていたら、5年前の手帳からハガキが一枚出てきた。それは10歳の自分が20歳の自分に宛てた手紙だった。「未来の自分」のさらに6年後を生きているわけである。すごく歳をとったと思う。ハガキには当時の自分の現状とかわいいイラストが書いてあり、最後に一言だけ「ちゃんとした大人になっていますか?」とあった。少なくとも当時の私はちゃんとした大人になろうとしていたんだ、と感慨深くなる。8割くらいちゃんとしてない大人になったと思う。

それを読んだ20歳の頃は何を考えていただろう? なぜか、20〜22歳の時はやけに焦っていたように思う。地に足がついてなくて、何かをやりたいけれどすべてが空回りするような... そういう、理想的な状態と現在のギャップにモヤモヤしていた気がする。深夜によく散歩をし、なぜかやけに落ち込んだりしていた。学校にはそんなに行ってなくて、家や学校の空きスペース、友人の家などでただ暇を潰していたような気がする。そしてまた焦る。まだ何もできていないんじゃないかって。

その頃に比べると随分いろんなことが分かるようになった。これが歳をとるということなのだろうか。人前で話すとか、ちょうどいい世間話をするとか、まだできないことも多いけど、一方で今日はそれでも仕方ないというか、一つの諦めを身につけたと思う。諦めはすごくネガティブな言葉として使われるけれど、私はそうは思わない。時間は続くから、諦めることで別のものが姿を現す。どんどんやめて、忘れたら良い。そんなことを考えてると、軽やかな前の会社の先輩のことを考える。あの人とはきっとずっと連絡を取り合うような気がしている。ちなみに、3年で辞めた前の会社に入ったことは、ひとつも悪い選択だったと思わない。あの会社での日々は、昔の自分と再び出会い直すようなものだったと思っている。

もう眠いから、寝ることにする。