お昼は何食べたんですか?

「お昼は何食べたんですか?」と私が聞く時、それは話すことがないのではなく、単純にその人が何を食べたのか気になってる。無理に話さなくても、と怪訝な顔を示し、愛想のない返事をされることも多々あった。しかし、そうではない。私は真剣にお昼に何を食べたのか知りたいのだ。本当に真剣だ。同じように、大きい怪我をしたことはあるか、子供の時住んでた街はどうか、好きなおやつは何か、そういったものがちゃんと知りたい。そういうのをちゃんと知ることで相手を知ることになる。自分ひとりの考えや嗜好を共有してもらうことが、どれだけ私の心を満たすか。そのために会話をしていると言ってもいいかもしれない。

だから、私は親しい人にもあえて聞いてしまう。一番多く観た映画はなにか、一番おいしかったラーメンは、自分の誕生日についてどう思うか、松屋吉野家だとどっちがよいか。私は相手の一部を知ることが自分の喜びになる。全部を知ろうとはしない。できない。それはすこしだけ傲慢すぎる目標だ。知らないこともいい。

大抵の人間は楽しくなるために話すのかもしれない。それもある。私だってある。しかしそれだけじゃない。遠くの町で地元の人しか知らない店に入るみたいに、相手の頭の中の細かいひとピースをつまむように、私は相手の話を訊きたいと思う。ところで、実家のなかで居心地のよかった場所はどこですか?