大きな蟻(7/2)

約2ヶ月ぶりに書く。いろいろなことがあったような気がするし、そうでもないような気もする。

会社に行かなくなってから3ヶ月が経った。めちゃくちゃ快適だ。心理的な苦痛がほとんどなくて、「自分、頑張っている」という感覚が全然ないのだ。そりゃ辛いこともあって、時々組版の仕事を遅くまでやらなくてはいけなかったり、デザインの仕事のプレッシャーだったり、課題が忙しかったり、あるいはお金の面での心配なんかもある。

でもそれらは望んだ苦痛というか、自分に必要なのだ、そういう運命なのだという気がする。会社勤めしていたころに感じていた苦痛──満員電車に乗ることや、毎日スーツを着ること、昼間に建物にこもって時間を過ごさねばいけないことや、上長や役員が偉いということ──に比べれば、ぜんぜん納得できる。たぶんそれは物件探しと同じで、バストイレは一緒でもいいけどコンロは二口ないと無理とか、狭いのは許容できるけど洗濯機は中に置きたい、というのと同じ。人それぞれに納得できる労働というものがあるに違いない。私はお金をちゃんと稼げるか不安だけれど、それでも毎日時間を自由に使えるほうがいい。会社を辞めてはじめて、お金を毎月きちんともらえることのすごさ・有り難さが分かった。こういう二項対立もすでに終わりはじめていると思うから、またどこかで働くこともあるかもしれないけれど。

 

というわけで、今日は金曜日だが、何もしていないのだ。昨晩、末井さんの『自殺』を読んでいたら突然眠ってしまって、昼頃目が覚めた。顔を洗って『マスター・オブ・ゼロ』のシーズン3を最後まで観て(その間、冷蔵庫の生菓とポテトチップス、トッポ半分を食べる)、荷物をまとめてから電車に乗ったのだ。半同居人と合流して花屋に寄って、歩き、ロイヤルホストでヨーグルトファッジを食べ、歩き、家に帰ってきた。ちょっと眠ってから半同居人が包んでくれた餃子をおいしく焼き、いまに至る。これから皿を洗おうか、というところで久しぶりに何か書き留めて置こうと思ったのだ。

今日は何もない日だが、それでもよく頑張った。それに、これから、私は眠いのに皿を洗うのだ。眠っている人のことを考えながら皿を洗うのが好きだ。スポンジで泡を立てながら誰かの見ている夢のことを考えるのだ。僕は夢をほとんど見ないから、人から夢の話を聞くと、代わりに見てもらっているような気持ちになる。世の中のほとんどすべての人が自分の家に帰り、ベッドや布団、やわらかいもののなかで眠りにつくことを想像して、温かい気持ちになるのだった。