大きな蟻(3/10)

今日から有給消化だ。阿佐ヶ谷の自分の家で10時過ぎに目覚める。

昨晩はフリーランスDTPの仕事をするために深夜の3時くらいまで起きていた。シャワーは浴びたものの、結局力尽き、気づいたら眠っていたようだった。

起きてからすぐにそっちの仕事の最終チェックを終え、編集者にゲラを送付する。フリーの仕事はまだまだ始めたばかりだけれど、会社の仕事よりモチベーションが高く保てている。これにはいくつか理由があると思う。

①成果に対して報酬が支払われる ②いつやってもいい ③好きな作家のことが多い ④終わったら見本がもらえる ⑤組織内ではなく個人として選ばれている

特に④は意外と大きな意味をもっていて、私にとって仕事が終わったら本が送られてくるというのは一つの理想というか、本ってもらえちゃっていいんだ! という驚きのうれしさがある気がする。ちなみに、会社の仕事で本がもらえたことは一回もなかった。(ケチである)

 

それから、会社のDTP仕事があったので片付け、洗濯や掃除等の家事をした。お昼はおなじみの冷凍うどん。麺をチンして、ツナと卵、天かすと花かつおをかけてから、にんべんの麺つゆ。いつ食べてもおいしい。また、昼には注文していたおしゃれ突っ張り棒が届いたが、どうやら長すぎて使えないことが判明した。返品してもらわなければいけない。

 

その後はパートナーの家に行ったりして、元気に過ごしたが、その帰り道に一人になったくらいからちょっと落ち込んできて、鬱っぽいな〜と思う。たぶん昨晩から今日の昼まで、躁の期間が続いていたからだろう。反動がきた。

そういう現象が起こっている、と思っていたら、映画を見たくなった。そんなに長くなくて気楽に見れそうな『(500)日のサマー』を観る。いい映画だった。観終わるころには、気づけば心は元気になっていた。映画とか、ストーリーのあるものって、その上に乗っているだけで自分の気持ちをあげてくれることがある。こういう風に、サプリメントみたいに芸術作品を使ってしまうのは悪いことだろうか? 私個人としては、まあ、いいんじゃないのかなと思う。だって、いろんな人がいろんなもののために芸術を経由していくほうが多様なあり方なのではないだろうか。作品は薬にも毒にもなる。そして、物事はなるべく多様であってほしい。選択肢は多いほうがいいから。

こう考えると先人たちの作ってきたものが、選びきれないくらい存在する現代はとても良い時代とも言える。私も直接なにかを作り出すことができるかはわからないけれど、その力にはなれればいいなとずっと思っている。私の仕事は文化を拡大する仕事であることには間違いない。その上で個人として何かをアウトプットすることを、自分と社会のためにやっていけたら一番いいなと思うのだ。