季節変わり

以下の文章はイエローページ vol.13に掲載する予定だったものです。

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季節変わり

2021/3/21

 

会社を辞める。今月で会社を辞めるのだ。こう書くと急に決めて、いきなり上司に退職届を叩きつけたようだけれど、実際に上司にそのことを伝えたのは10月の終わりだった。「なんで辞めるの?」と訊かれた。何回も、あらゆる人から聞かれた。その度にいろんな言葉で説明めいたことしたが、実際のところはなんで辞めるのかよく分からない。とはいえ、分からないとは言えないので実際の場面ではたいてい「デザインの勉強をしたいからだ」という話をした。それが一番大きくて、筋が通っていて、誰も傷つけない理由だった。そして実際に本のデザイン=装幀を生涯の仕事にできたら、それが一番素敵だと思う。もちろん、辞めたい悪い理由もたくさんあって、会社の嫌なところを見てそれが構造的に変え難いこともよく分かっていた。だけれど、それらはまだ、私にとってはそれだけで辞める理由になるものではなかった。
そんな感じで複数の理由が存在することは確かなのだが、本当の意味でなぜ辞めると決めたのかは結局よく分からない。

『急に具合が悪くなる』は哲学者・宮野真生子さんと人類学者・磯野真穂さんによる往復書簡をまとめた本だ。宮野さんは九鬼周造という哲学者について研究しており、今回の書簡のなかでも「偶然性」という問題について自身の身体と結びつけて書いていた。たぶんそれは研究のほんの少しでしかなかったと思うが、私はこれだ! と思った。私の中で、なんとなく確信めいたものがあった。ちなみに九鬼の主著である『偶然性の問題』は読んでいない。それでも、辞めることの分からなさに対する一つの解釈が思いついたのだった。
私は計画性や必然性みたいなものから逃れ、偶然の世界に生きるために会社を辞めるのだ。それは「こうすればこうなる」と分かる世界から脱却して、未来が分からない世界に生きるということだ。とにかく私たちの人生は計画性をもってなされるように教育されてきている。保育園のお昼寝の時間、学校の時間割、大学や社会人でのキャリア形成論...…とにかく計画性を前提とした社会になっている。それは有益なことで、未来を確定させることで人間は人間の生存可能性を高めてきた。冬に備えて作物を備蓄しておくことで、餓えて死ぬことを避けられるようになった(食べるものがあるという未来を計画している)。しかしながら、私は計画を立てすぎているように感じている。どこかに行くのにgoogleマップで見つかる最短経路に従い、レビューを見てから新しい映画を観る。最適で賢い選択をしているようでいて、自由な心はどこに行ってしまったのだと我に返るときがある。私にとって自由で身軽であるということは、何事も厳密にしすぎず偶然が入る余地を作ることだった。その余地があらゆる経験を楽しむ余裕を生む。本来の目的は楽しむことだったということを忘れない視座を確保する。
真に大事なことを忘れたくない。だから私は偶然の世界に生きる練習をしてみたいと思った。

いま私は桑沢デザイン研究所の後期日程を受験して、補欠合格になっている。補欠順位は4番。いま書いている時点でホームページを見ると「補欠繰上げは3位となっております。(繰上げを行った時点で更新します)」と書かれている。合格を知らせる電話はまだ鳴っていない。私の未来は不定である。不定であることはすごく私を不安にさせるし、一方ですごく自由で気楽な気持ちにもさせる。受かるかもしれない未来と落ちるかもしれない未来のあいだで私は揺れ動いていて、とっても生き生きと楽しい。揺れ動き、ステップを踏む。そして、いま生きていることを感じる。

 

もう3月の後半。今日は朝から季節替わりの雨が降っている。空気は日に日に暖かくなってきている。太陽の出ている時間が伸びている。そして冬が終わり、春が私たちのところに訪れる。