大きな蟻(3/8)

月曜日だし、会社に行った。今月で辞めてしまうので、どんどん身の回りの整理をしている。机の上に山のように積んであった重版の原本は書庫に戻し、雑に突っ込んであった書類にすべて目を通して不要なものは捨てる。iMacのデスクトップにとっ散らかったファイルもどんどんゴミ箱に入れたり、整理して一つのフォルダにまとめたりしていく。

片付けというのは不思議なもので、やっている間は大変だな面倒だな、と思うのだけれど、気づいてみると思っていた以上に快感になってくる。捨てる、整理するというのは一番手軽なアウトプットなのかもしれない。排出の喜びというのはある。しかしながら、思っていたより空白が目立つので、むしろ寂しさの方が際立ってくる。片付けを面倒と思えている時間までが会社のこちら側なのかもしれない。いまはもう、境界線のあちら側に来てしまった。寂しくなってももう、戻れない。

意外な気づきというのもあって、思っていた以上に、自分はちゃんとここに存在していたんだなと思わされることが多くなった。部署の先輩たちの落胆ぶりが結構なもので、食事に誘ってくれたり、物をいただいてしまったりする。働いている時は、自分なんて空気、あるいは仕事の流れの一部に過ぎないし、仕事なしに考えられる関係そのものはそんなに多くはないのかなと思っていた。
しかしそうでもなくって、仕事をとおして確実に私たちの人生は交わっていたし、今後もそれはなくならないことなのだ。仕事はブルシットかも知れないけど、それが人と人との関わりである以上、業務それ以上の意味は必ず現れてくるのだ。意味とは、これからも交流が続くということであり、あるいは記憶から決して消えないということでもある。思い出すたびに、私の脳内のいろんな会社の人が現れては立ち消え、励ましてくれるような気がする。

人と関係になることは尊い。三年しか働いていないけど、それでもわかるような気はするのだ。そう考えられただけでも辞めることはポジティブに捉えられる気がする。後ろめたさはあるが、悪い決断ではないはずだ。