大きな蟻(4/30)

1週間ぶりに会社に行った。私は阿佐ヶ谷に住んでいて、会社は神田にある。13時半ごろに中央線に乗った。
車内は比較的空いており座ることができた。この場合の「座ることができる」ための個人的基準は、隣の人と安定して座席一つ分をあけて座ることだ。誰かの隣に座るのは避けているし、さらに途中で私の隣に座られることも避けたい。接触するくらいなら、立つようにしている。
今日は本を持っていたのだが気分が乗らず、社内チャットを確認したり、家に敷くラグをネットで探したりして過ごした。
新宿駅を発車したあたりでふと顔をあげると、サザンテラスの高島屋が目に入った。おお、ニトリの入ってる高島屋だ...
なぜか、突然こみ上げてくるものがあった。ちょっと泣きそうだ。なぜだか分からない。大きな布団を買って電車で持って帰ったこと、南側の階段を昔の恋人と歩いて降りたこと、一人で沿線を散策したこと... 気がつくと記憶は溢れてきて、街のなかにはたくさんの私的なエピソードが散らばっていたことに気づく。
そんなエピソードはいまでは決して起こり得ない。そうであれと願ってもそれはかなわないのだ。それらはほんの数ヶ月前には当たり前のようにあったものが、いまでは遠く手が届かないことを思うととても悲しい。すぐそこにあったのに。日常はいつでもひっくり返るということを私は知ってはいたが、分かってはいなかった。いままさに実感する。こういうことだ。

しばらくの間きっと、私は遠くを見て、そこを歩いていたことを思い出すんだろうなと思う。そして、それでも私は悲しくなることをやめない。それは過去の平穏な暮らしがあった証左だ。あんな世界があったことを、私は、今日も忘れない。