2023.11.18

なんというか、日記というものはだいたい一日の終りか次の日あたりに書くもので、そうすると現在進行系の話がしづらい。しかし実際には書きたいことはそのときどきの状況だったりするわけで、今日の分はその調整用にしてもいいと勝手に決めた。

 

今週は毎日人と会ってお茶をしていて、それがうれしいと感じている。私は結構体調の波があるので、そういう風に思えるのは珍しいことだ。大抵は人と会って疲れて次の日寝込んだり、予定をキャンセルしてもらったりする。でも、文学フリマを経てからそういう身体の重い部分がある程度取れたような感じがあって、人に会うのもそこまで恐怖を感じない。むしろ、その人とはどんな話ができるんだろう、とわくわくする。

その一方で、今週は確実に過眠気味であり、気がつくと寝てしまって、そのまま昼まで起きないということが多かった。一番ひどい日は15時に目が覚めたりして、仕事をキープしていくのが精一杯だった。躁うつ的な傾向から言えば、これはうつ的な反応なのだけれど、気分は確実に躁気味(でも行ききらないように抑えている)。このちょっとした矛盾みたいなものはどういうことなのか考えている。一つは、文学フリマ前の二週間に寝ずに無理をした反動が来ているかもしれない、ということ。何にせよ、生活リズムを安定させることがめちゃくちゃ大事だよな〜とは思うのです。

 

人と会って話していると、自分の輪郭が分かってくる感じがある。私が話したことが反響して返ってくる。あるいは、私の書いた文章の感想を言ってもらえる。そうしてはじめて、私の思考やその記録としての文章がどういうものなのか分かるような気がするんだ。中高生のときには極端にコミュニケーションを避けていたのだけれど、そのせいで、コミュニケーションの効能が分からないまま大人になったような気がしていた。私の母はコミュ障だったといまでは思うし、私自身としても人と会うことは怖いことだという刷り込みがあったんだと思う。いまでもある。でも、その向こう側に他者と触れ合うことでしか得られない、ギュッと詰まった体験や収穫物がたくさんあるのだなあと実感している。もう28歳なのにね。

 

ついつい「友だちが少ないんだよ」という話をしてしまうんだけど、実はそんなことはないんだと思う。そう思いたいだけなんだ。少なく見積もっておけば、人に会わなくていい口実になる。実際に、多くの人と関係を維持していくのに苦手意識はあるけれど、でもそれは友人が少ないということではなくって、ただいるけど会ってないだけなのだ。別に会わなくたっていい。必要になればその時が来る。

 

そういう風にまったく思えたこともなかったんだけど、書いていると自然と思考がドライブしていって、そういう言葉が出てくる。すごく不思議なことだ。書き言葉のほうから私のほうにすり寄ってきて、新しさのほうへ導かれるような感じがする。

 

今日は夜から専門の友人たちとバスケをした。初参加の人もいて、最初は物怖じしていたけど、ディフェンスの才能があったりして、いくつも発見があった。身体を動かすのは楽しい。私は経験者なのについつい本気になってしまうのでいい加減にしたいなあと毎度反省している。終わってから中華料理屋へ。11人でご飯を食べた。みんな楽しそうにしていたし、私もよく笑った。元気なときはみんなのことちゃんと愛おしいと思える。もし会うのが億劫だったら、それは元気がないからなんだ。もっと元気のなさという状態のせいにしてしまって、自分から遠ざけていいのだと思う。

 

帰ってきてからはzineのデザインと入稿をしないとヤバい、と思ったので徹夜で作業をした。もう来週末にはTABFがあるのに、オリジナルのzineがまったくできていない。写真を並べ、巻末にエッセイを一本書いてから、タイトルは迷って、『BLUE RELATIVES』という風に名付けた。スナップした木の写真を、青一色で刷って冊子にしてもらう。私の「名」と「血」への反骨心で作ってみた。TABFは木曜からだけど、モノは金曜に届く。金曜は店番があるので、なんとか間に合うといいな。まだ仕上げの工程が残っている。50冊刷ったので1年くらいかけてゆっくり売れたらいい。