2024.4.4

火曜日まで緊張する時間が続いていて、それが一段落してから昨日今日と仮眠気味。今日は15時に起きた。とりあえずシャワーを浴びる。遅く起きることで自分を責めるのはここ数ヶ月はやめることにした。昨晩は2時くらいに寝たから、13時間くらい眠った。これだけ長く眠ることには何かしら理由があるのだと思っている。だから、責めない。今回の場合、緊張していた時間に対しての反動が来ているのだと思った。できることなら、波風の立たない生活を送りたいけれど。

 

こういう、遅くスタートする日はいったん外に出るといい感じがしている。売りたいと思っていた本を持って近所の古本屋に向かった。「10分くらいで値段が出ます」と言われ、店内で待つことにした。もう「ユリイカ」の柴田聡子特集が古本で出ていて、だったら少し待ってここで買えばよかった。値段は3300円。2000円くらいと予想していたから、自分の見当よりも高くて嬉しい。

今野書店に行ったらもう千葉雅也『センスの哲学』が並んでいて、古本を売ったお金で買った。明日発売のはずだったので少しうれしい。レジを打ってくれた店員さんが「千葉雅也の新刊出てるんですね!」と声をかけてくれた。

 

仕事の考え事をしたかったのと、お腹が空いていたのでサイゼリヤへ。小エビのサラダを一人で食べるのが好き。考え事をしながらご飯を食べ、メモし、結局はもうちょっとインプットが必要だという結論にいたった。現時点でベストなアイデアは出てきたが、他にも何か手があるんじゃないかという気がする。知識や経験に乏しいことを残念に思う。それでもやっていくしかないし、ひとりでやっていく醍醐味はここにあるような気がしている。会社にいれば、より経験のある人に頼ったり集合知で戦うこともできるが、ひとりでやっていくときにはある種「偏って」蓄積されたものを参照していくしかない。この「偏り」が結局は人間性であり、個性と呼ばれるものなのだと思う。私は私なりの偏り方を極めていき、それが社会に接続されていればいいのではないかと思う。

 

大体いま考えられることを書き出し、あとは少し本を読む。大崎清夏さんの『私運転日記』を読み終える。すごくよかった。素直で身体的な言葉遣いに心が惹かれた。大崎さんの文章は「何が起こった」とかじゃなく、文章自体がなめらかな水のようですいすいと読めて気持ちがいい。上質な文章を読んでいるという快適な気分がある。うれしい。

『センスの哲学』もそのまま少し読んでみる。東畑さんが言うようにすごい改行されていて驚く。読みやすい。読みやすすぎて気を抜くと目がすべっていってしまうので、読むのは今日ではないと判断した。

何かアウトプットをすべき体調だ、と思ったので久々に日記を書いてみている。日記を書く時には必ず書かざるを得ない体になっているときで、いまは何か決め難いことを抱えている体だ。どうしたらいいんだろう。そういう迷いがある。なにか重たいものを抱えて歩いている。その重さがそのまま体調に表れている。すっきりとした気分になりたい。気持ちのいい春を迎えたい。