業務外日記;7月9日

2018年7月9日 曇り時々晴れ


アラームが鳴って、寝落ちていたことに気づく。
昨晩は0時近くに家に帰ってからベットに転がり本を読んでいた。
本に夢中になっていたら本当に眠ってしまっていたようだ。

二度寝三度寝を繰り返し、7時40分ころにやばいと思って動きはじめた。
お風呂にも入っていなかったので急いでシャワーを浴びた。
ヤフーの乗り換え案内のアプリから通知が来ていた。中央線は遅れているそう。
電車乗りたくないなぁ、会社行きたくないなぁと思いつつも、遅刻しないように急いで準備をする。


今朝もグラノーラを食べた。毎日フルーツグラノーラ
子供の頃フルーツグラノーラは高級品で、普段はトップバリューの安いコーンフレークしか食べれなかった。
時々本物のフルーツグラノーラを食べれる日があって、そんな日は朝から小躍りするくらいの気持ちだった。
そういう理由で幼少期からフルーツグラノーラに対する憧れがすごくあって、大人になったらおなかいっぱい食べてやろうと思っていた。
『さよなら歌舞伎町』という映画に出てくる若い女の子の気持ちがよくわかった。
その子はマクドナルドのチキンナゲットを山盛り食べて盛大にはしゃいでいた。


社会人になった今では毎日フルーツグラノーラを食べられる。
しかし、毎日食べているとだんだん特別じゃなくなってきて、今ではそんなに嬉しくないのだ。
それはすごく悲しいことだなぁ、と思った。

そうはいっても僕はフルーツグラノーラを毎日食べ続けようと思っている。


いつも通り髪の毛・歯・服の準備をして、水筒にお茶を入れて、家を出た。
中央線快速は今日も満員だった。
電車のなかでは小沢健二をずっと聴いていた。
好きな友達が勧めてくれた『ある光』。
改めて歌詞をしっかり聴くと、ぴかっとした明るさとちょっとした切なさが伝わってくる。
ポップな歌だけど、朝ではなくて夕暮れに聴く歌なんだろうなぁと思った。あと『流動体について』とよく似ていると思った。


電車の中ではぼうっとしていた。



会社の前のまいばすけっとで「大きいおにぎり」と30パーセント引きのあんぱんを買った。
211円だった。安い。
割引のあんぱんは安くなってたから買ったわけじゃなくてあんぱんを食べようと思っていたら安くなっていた。ラッキー。
好きなカフェオレは売ってなかったので、別のコンビニで買ってって、今日は公園で食べた。
誰かを誘っても良いのだけど、お昼は一人になれる貴重な時間でもあるので毎日迷う。今日は一人だ。

周りでもOL連れやサラリーマンがお弁当を食べていた。鳩が多い。都会の鳩は好きじゃないので近寄ってこないように警戒した。
外は気分がいいけどすっごく暑いので、さっさと食べて会社に戻った。
会社ではカフェオレを飲みながら本を読んだ。村田沙耶香さんの本。相変わらず、心を丸裸にされるような文章。
あまりのめり込みすぎるとキツくなるのでほどほどがいい。



18時過ぎに退社。
今日は自炊すると決めていたので帰りにイトーヨーカドーに寄って帰る。
袋に入ったきゅうりと、思い立ってトウモロコシを買った。家に帰って茹でて食べよう。
最近は節約のためと思って簡単な自炊をしているが、これが少し楽しい。ポイントは「楽をする」「洗い物を減らす」だと気がついた。
今日の夕飯は、茹でた乾麺の蕎麦の上にきゅうりやカニカマを乗せたものと茹でたトウモロコシだ。
全部乗せるだけか茹でるだけなのでとても簡単。洗い物も少ないのであとで面倒が減る。
夏はこんな感じで適当に済ませてもいいけど、秋冬が心配だ。しっかり作らなきゃいけないような気分になる。
最近はゴッドタンを見ながら夕飯を食べる。
今日も劇団ひとりおぎやはぎが「景気付けにおっぱいを見せてもらう」という内容で意味がわからなかったが、そのくだらなさが中学男子みたいでちょうどいい。
そのあと3年くらい前にニトリで買った扇風機を組み立てた。


本を読もうと思っていたら誤って寝てしまい、1時間ほど後に起きる。
それからスマホを見たり漫画を読んでだらだらしていたが、買い物があるのを思い出して西友へ。
柔軟剤とオロナミンCを買った。


家に帰ってからシャワーを浴び、オロナミンCを飲んで、布団に入った。

業務外日記;7月6日

2018年7月6日 雨時々曇り

 

7時半ごろ起床。昨日よりもすっきりと目覚めれた気がする。すぐに布団から出る。

いつも通り、朝の支度をした。流し台には洗ってない食器がいくつか重ねて隅の方に置いてあった。洗うのが面倒なので数日間置きっ放しになっている。今朝も洗えなかったのでそのままにしシンクに頭を突っ込むようにして髪の毛を濡らした。

軽くグラノーラを食べ、シャツとズボンを身につけて家をでた。今日は昨日より5分早く家を出られた。外は雨が降っていてなんだか嫌な気分。この連日の雨の前は気温が30度を超えてきていてかなり暑かった。涼しいだけマシか、と思いながら傘をさして駅へと向かった。

 

昨日気づいたことだけれど長い傘はかなり持っていて邪魔になると思った。毎日手持ちのビジネスバッグと上着を手に持って通勤しているのでそれだけで両手がふさがってしまう。その上に傘を持とうとすれば上着とバッグを左手で持ち右手で傘を持つ事になる。さしてない時が特に邪魔である。電車の中なんて特にそうだ。

その教訓を忘れずに、今日は折りたたみ傘で通勤した。就職祝いに妹がくれたMacintoshの黒い傘。短く、かなり細くなるからとても使い勝手がよく、それでいて上部。とても重宝しているのだ。これなら必要のない時にはバッグにしまうことができる。電車の中でも、なんとか片手を空けられる。スマホを見たりつり革を掴める。

中央線はいつものように10分程度遅れて神田駅に到着した。今日は「ナンバーガール」を聴きながら来た。「Zegen vs Undercover」が好きだ、歌詞の意味はよくわかんないけど冒頭の語りのような部分がいい。向井秀徳、いいよね。

コーヒーを買いに会社の近くのファミリーマートに寄った。ボスのペットボトルのカフェオレを買った。夏になるとよく飲みたくなる。レジで会社の契約社員の先輩にあう。先輩はレジ脇のコーヒーメーカーでコーヒーをいれていたから「先に行ってますね」と一声かけて店を出た。

 

 

お昼何にしようかなって迷いながら一回まで降りてきてしまった。エレベーターで会社の同期と一緒になりなんとなく会社の玄関まで来るもうっかりしていて傘を忘れてきた。取りに戻りながらお昼何にしようかなと考えたけれどいい案は浮かばず。一人で行きつけの「かぶき」へ。かぶきは夜は鰯料理をウリとした居酒屋だが、昼は普通の定食屋のように普通の定食を提供している。一律500円で、日替わりのA・Bセットや固定のチキンカツ、焼き魚などの定食から選ぶことができる。今日はBセットが鶏団子とカツオのタタキだったので、それを食べる事にした。

メニューはご飯・味噌汁・鶏団子のピリ辛味噌煮・鰹のタタキ4切れ・ひじき・漬物・のりたまだった。500円にしてはかなり品目が多いところがいい。味も普通に美味しい。個人的な話なんだけど、かぶきの味噌汁は実家の味噌汁とかなり味が近くて落ち着く。この店は入り口でおばちゃんに何を食べたいか伝え500円を先に払うシステム。初めて行った時にすごくびっくりしたんだけれどおばちゃんに「Bセット」というと「Bセットーーー!!!」と大きい声で反復される。慣れるまでは毎回驚くけど、おばちゃんはいつでも元気に叫んでいる。今ではこれを聞きに店にきているのかもしれない。

食べ終わってからもまだ会社に戻りたくなくて、サンマルクでゆっくりする事に。カフェラテを飲みながら、本を読んだ。12時50分になったので会社に戻った。

 

 

夜 

 

今日は金曜日。いわゆる花金だが飲み会の予定はなく、家に帰る事に。帰りの電車は心なしかいつもより空いているように見えた。きっとみんな飲んでから帰るのだろう。

今日は彼女と夕食を食べる約束をしていた。今日は昼からの出勤になるため帰りが遅くなるらしい。会うのは渋谷だが、家で連絡を待つ事にした。19時くらいに家に帰った。

 

終わらせたかったことをいくつか終わらせた。まず、携帯のキャリアをより安いものに変える手続きをした。今まではソフトバンクを使っており、高校生からの流れで大学までは父親に払ってもらっていた。しかし社会人になったし自分で払うべきだと思ったので請求先を自分にする事にしたのだ。ソフトバンクだと高いから、LINEモバイルにする事に。本人確認は免許証などの書類を写真に撮ってアップロードすればいいだけで簡単だった。

次に新潟に住む友達への誕生日プレゼントを買った。一番贈りたかったものはアマゾンでも売ってなかったので、二番目に良さそうなものにした。不本意だけどアマゾンのギフトで送ってしまう。本当は自分でお店で買って自分で梱包して贈りたかった。時間がないので断念。社会人って忙しいから、と自分に言い訳をした。

彼女からラインがきて「予定より遅くなるから先に夕飯を食べてて」という事だったので外に出た。自炊が一番なのだけれど今日は花金だから外で食べてもいい事に。最近ずっとカツ丼が食べたかったのでなか卯でカツ丼を食べた。なか卯には大学時代からよくお世話になってた。書店のバイトが終わると0時を回っていたので入れる店は松屋すき家なか卯くらいしかなかった。夜遅くカツ丼を食べれる店はなか卯しかなかった。

食べ終わってから駅前の書店「書楽」に行った。「しょらく」ではなく「しょがく」と読む。今日は季刊文芸誌『文藝』の発売日だった。友人が連載を書いているのでそれを立ち読みさせてもらう。残念だが、買うほどの金銭的余裕はない。今回も友人らしい内容で、ありありとその人の様子が浮かんだ。

 

村田沙耶香さんの本を読もうと思っていたので、村田さんの文庫化している作品を探した。読むのは『コンビニ人間』ぶり。そのコンビニ人間も2年ほど前に名古屋の友人に貸したっきり帰って来ない。それはそれで、別に構わない。自分の本が誰かの家にあるということは案外悪くないと思うのだ。

本当は『しろいろの街の、その骨の体温の』を読みたかったけれどなかったので代わりに『マウス』を買った。

 

店を出ると「仕事が終わって渋谷にいる」との連絡が入った。渋谷に着くまえに連絡くれればよかったのにな、と思いながら電車に乗って渋谷に向かった。

電車内ではずっと本を読んでいた。『コンビニ人間』よりも書き口が丁寧で読みやすい。あの時感じた突き放されるような印象は『マウス』からは感じなかった。

 

22時くらいに道玄坂ロイヤルホストにいると言うので西口から出て向かう。東京に引っ越して来て3ヶ月がたつがいまだに渋谷は慣れない。今回もかなり迷ってしまった。とにかく人が多くてストレスが溜まった。雨が降ってないだけいいんだろうけど。

 

ロイヤルホストに入ると入り口にほど近い席で彼女は待っていた。OLのはずなのにベージュのワンピースを着て座っていた。今日はカフェの店員をしていたらしい。本来の業務とは違うがたまにヘルプでカフェ店員になることがあるそう。そんなことあるのか、と感心した。それでも仕事を楽しんでいるのはとても偉いと思う。

彼女はオムライス、僕は迷ってチョコレートパフェを食べた。最近のことを話したり聞いたりした。社会人になると会社の話が多くなるな、と思った。毎日どんな仕事をしているのか、上司はどんなひとか、会社の理不尽なところ、など。こうやって、歳をとると今度はママ友の話になったり、パート先の話になったり、健康診断の話になったりするのだろうなと思う。先が見通せてしまう気がして、切ない気持ちになった。

 

23時過ぎに解散。渋谷から山手線で新宿へ、乗り換えて中央線で阿佐ヶ谷に帰る。

なぜか新宿の乗り換えで迷ってしまう。上の方にある掲示を見ても乗り換えのホームの場所がわからない。周りにはたくさんの知らない人たちがいて、それぞれの帰る道を急いでいた。僕はどこに行けば帰れるのかわからなくなってしまった。周りを見渡しても誰も中央線のホームを教えてくれない。ようやく、自分がどこに向かえばいいかわからない事に気が付いた。

15分くらい、ふらふらと歩いているとなんとかホームを見つけることができ、家に帰る。近所の喫茶店「gion」で休みたくて、カウンター席に座り本を読んだ。隣に座った金髪の男がナポリタンを注文していてよく食べるなと思った。今は0時半だ。

気が済んだら家に帰ってシャワーを浴びた。『マウス』の続きが気になり最後まで読む事に。結局3時過ぎに就寝。

業務外日記;7月5日

2018年7月5日 曇り時々雨

 

朝は7時にアラームかけるも7時50分に起きた。かなり眠かったから寝たり起きたり寝たりを何度も何度も繰り返していた。

やっと起きたけど、8時25分までには家を出なきゃいけないからかなり急いだ。

トイレに行ってから寝癖を直すために髪を濡らし(濡れたまま少しの時間置いとかなければいけない)、1杯お茶を飲んだ。節約のためにお茶を作り始めたのだ、無印良品のお茶。「ハトムギレモングラスの水出し茶」 。これもまた無印良品のボトルに、ポイっとティーバッグを入れて水いれて冷蔵庫においとけばいいから気楽でいいのだ。

フルーツグラノーラを少し食べ、歯を磨いた。ドライヤーで髪を乾かしたらワックスをペッペッて適当につけて完了。

あとはエアリズムと白いシャツを着てスーツのパンツを履いたら家を出た。

今日は7時25分に家を出た。

うちから駅までは歩いて4分程度。阿佐ヶ谷駅が最寄り。

中央線快速で神田まで1本で通っている。朝は満員電車だ。「辛い?」と人によく聞かれると「確かに辛いけれど身長があるからそこまで大変じゃないよ」と答えている。

今日は電車の中では音楽を聴きながらぼうっとしていた。base ball bearの曲をシャッフルして聞いていた。「SHINE」という曲が最近好きです。

 

 

昼は会社の近くのサンマルクで一人で食べた。

ランチセットは割とお得で今日は「ハンバーグのパニーニ」「塩ミルクチョコクロ」「カフェラテ(S)」で540円。自分の中で500円までならお昼に払ってもいいかなと思っている。もっと節約したいところではあるけど。

3階の落ち着いたところでだらだらした。チャットモンチーを聴いた。解散だってね。

「真夜中遊園地」はやっぱりいいよね、でもなんだかんだ言って「染まるよ」だよなあ、みたいなことを考えながら、もぐもぐパンを食べた。「どなる、でんわ、どしゃぶり」も結構好きなんだよな。

食べ終わってからは『第三の男』(グレアム・グリーン著)を読んだ。

12時45分くらいにスイカバーを買って帰って、自分の席で食べた。

 

 

18時ころ退社した。

雨は降ってなかったけれど傘を忘れたことに気が付いて取りに戻る。神田駅について電車に乗るも、間違えて通勤快速に乗ってしまった。これでは阿佐ヶ谷には止まらない。

新宿でおりて、快速に乗り換えようと思った。そのままホームにいればよかったのに間違えてエスカレーターで降ってしまう。慌てて階段でホームに戻った。

夕飯を作る気が起こらなくて、松屋で豚焼肉定食をお持ち帰りした。550円。19時から21時の間に郵便物が届くから家にいなければいけなかったのだ。

家でアマゾンプライムのゴットタンを見ながら定食を食べた。食後にビスケットを食べてたらピンポーン!と荷物が届く。母が僕宛に送ったものだった。

中身は横須賀海軍カレーのレトルトやパスタのレトルト、ディズニーランドのお土産(もらったらしい)、金谷ベーカリーのお菓子なんかが入っていた。多種類を少量ずつ、日持ちするものを入れるのが母のスタイルであることは学生時代から変わらない。

 

そのあとラインをしながらゴロゴロしてたら間違えて眠ってしまった。

疲れていたんだなあ!

 

6日の2時頃に目を覚まして、4時に眠った。

 

ビニール傘を忘れた後で思った

 

誰でも一回は傘を忘れた経験があると思う。

 

 

それは電車の中だったり、喫茶店だったり、はたまた出先の本屋だったりする。

今日みたいに1日中雨が降る日は、1日中傘を使うから、傘を忘れることはほとんどない。

危ないのは雨のち晴れの日とか、朝から雨が降りそうで降らない日だ。

 

 

僕はビニール傘が好きでよく使っている。それはどこでもすぐ買えるから、とか安くて使い捨てられるから、とかそういうことじゃない。つやつやしている上に透明なところが好きなのだ。

ビニール傘でも、半透明のやつじゃダメで、透き通っていて程よく肉厚なビニールがいい。

 

 

500円くらいで買えてしまうから、忘れたときのダメージは、ほかの傘に比べれば少ないと思う。

でもそれは金銭的なダメージであって、お気に入りの傘がなくなったという意味ではやっぱり悲しい。

 

 

からしばらくはその傘のことを考える。

 

 

電車に置き忘れたとしたら、僕の傘は僕が乗っていた電車の終着駅までたどり着くだろう。

会社から帰るとき、僕は神田駅から乗って中央線快速で阿佐ヶ谷駅へ向かう。

よくあるパターンとして、阿佐ヶ谷駅で降りるときにビニール傘を忘れる。

そうなると僕の傘は豊田駅とか高尾駅に到着するんだろう。

もしかしたら電車はその後中央線を何往復かして(通勤快速だったり、快速だったりする)、夜には車庫に帰る。

 

 

車庫に帰った電車は、JRの職員によって点検されたり掃除員によって清掃やゴミ捨てが行われる。

見つけられた僕のビニール傘は捨てられるか、はたまた遺失物係に回されるのだと思う。

 

 

遺失物係に回された僕の傘は、ほかの大量の忘れ物の傘と一緒に保管される。

できればその傘は遺失物係の傘立てのような場所で、いつまでもずっと保管されているといい。

地下に作られたひやりとするコンクリートでできた建物の片隅で、ひっそりと僕が取りにくるのを待っているのだ。

 

 

そして僕はそれに無頓着に、毎日をせわしなく過ごしている。

新しい500円のビニール傘を手に持って、傘を忘れたことを忘れている。

 

 

僕が覚えていないところで、かつて繋がっておりいまでは繋がっていないものが存在している。

覚えていないってことは本人の中には存在しないも同じだ。

だけれど、それでもビニール傘は存在し続ける。僕を待ち続ける。

 

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それは美しいことなんだと思う。

 

『君の名前で僕を呼んで』から連想される断片的な事柄

今日、新宿武蔵野館で『君の名前で僕を呼んで』を観た。一番後ろの席の真ん中付近で観たので、映写室の窓から出る光を近くに感じながら鑑賞した。

実に良い映画だった。何度も泣いた。個人的にはこの映画のテーマの1つは「輝かしい青春が過ぎ去ってしまい二度と帰ってこないことの儚さ」だと思っている。



僕はついこの間の3月に大学を卒業し、その土地を離れ東京で働き始めた。大学では深く狭い友達付き合いをしていて、決してイケてはいないけれども心からリラックスでき何でも話せる親友たちに出会い、遊んでいた。
暇な時に家に上がり込んでコタツでだらだら過ごしたり、発泡酒飲みながら桃鉄をやりまくったり、朝まで話したり、永遠にも思える時間をただ浪費していた。

そういった時間の儚さというのは終わりになると気付くもので、彼らと過ごした卒業旅行や卒業式のときに「ああ、もう少しアイツんち行っとけばよかったな」とかなり後悔した。別れが寂しくて就職なんてしなければよかったとさえ思った。
あの時期にあの場所で友達と作っていたキラキラした空気感や場は、もう一生手に入らない。
それはとても寂しいことだ。



映画の中で自転車を漕ぐシーンが多用されている。そこからフラッシュバックしたのは高校の記憶だ。僕はバスケ部だった。高一の時、部活終わりはいつも友達と自転車で帰っていた。うち一名はヤンという韓国人の親友だった。みんなで帰り道にファミマでホットフードを食って帰ったり、別れ道でだらだらととりとめのない話をしたりしていた。くだらないことに真剣で、暗くて先の見えない坂道を自転車で全力で突っ込んで走りきれるか挑戦をしたこともあった(僕は田んぼに突っ込み、ヤンは川にチャリを落とした)。

そんなことももう記憶のなかではとても遠いことになってしまった。ヤンは震災の影響で韓国に帰り、他の友達とも大学進学で散り散りになった。いまでも時々その時の友達には会うけれど、当時特有の輝かしい空気、「おれたちは無敵だ」とでもいうような高校生のときの万能感はもう一生味わえないんだろうなと思っている。


色々なところで別れというものは存在し、楽しかった人や場所、時間もただの過去になってしまう。そして悲しいことに、それは決して避けられるものではない。

でも、そのときの思い出は自分の中で生き続ける。過去を顧みれば、ありありと当時の情景を思い出し、「あの時は楽しかったなぁ」と当時の眩しさに目を細めることは可能なのだ。

そうやって、キラキラした記憶を一つ一つ集めていってコレクションし、それを眺めながら死ぬのが僕の理想の老い方だ。
ルビーでも、ダイヤモンドでも、普通の石ころでもいい。とにかくいろんな石を集めていくこと、人生の酸いも甘いも苦いもしょっぱいも全て味わい尽くすことが大切なんじゃないかなと思っている。そしてそれが自分の人生を彩り、豊かにしていってくれる。



そんなことを映画を見ながら思った。

繊細なこどもだった

社会人となって1月くらいが過ぎた頃、母からラインがきた。

"大学生になってちゃんと一人暮らしして人様に自慢できるような社会人になりましたが、小さい時からの繊細な部分もまだあるかと思ってます。どうか無理せず抱え込みすぎず。”とのこと。

 

このラインで思い出したけれど、僕はどこか繊細なところのあるこどもだった。

僕の実家は色々あって父がほとんど家にいない家庭だったのだけれど、ある日母が体調を崩して、病院に入院したことがあった。大事ではなく、単なる胃腸炎と脱水症状だったから、点滴をして安静にするだけのことだった。

母が入院していたので、代わりに祖父母が家に来てくれ世話をしてくれてた。

祖母は「母ちゃんのお見舞いに一緒に行こう?」と僕と妹に聞いた。

僕はどこかナーバスになっていたのか、「絶対に病院には行かない!」と頑なに行こうとしなかった。行けば母が喜ぶこともわかっていたが、病院をすごく恐ろしいところだとなぜか思っていて、絶対に行きたくなかった。

それは医者に何か悪いことをされるという種類の怖さではなくて、もっと漠然とした冷た死の匂いというかそういうものをイメージしていたのだと思う。

 

僕は家で一人で留守番をしていた。

 

 

他にも、中学の人間関係に苦労して過敏性腸症候群になったり、震災の時はなぜか妙に張り切ってみたり、周囲の影響を受けやすい性質なんだと自覚している。こないだ会社の研修で群馬に2時間かけて通っていた時も、ストレスで毎日お腹を壊したり貧血で倒れそうになっていた。

 

自分を繊細な人間だと自覚しておくことで、割と不調の原因に気付きやすくなる。

最近だと自分は気圧の変化に弱いことがわかった。「今日はなんかテンション上がらないな」「調子出ないな」という時に気圧のアプリを確認したらちょうど気圧の変化で危険な時だったりする。

 

自分は繊細という意識が身を守れることはたくさんあるのでぜひ今一度自分について考えてみてほしい。

 

 

 

 

 

おっさんの喧嘩

今日、バイトが終わった帰りに近所のセブンイレブンに寄った。深夜の一時だが、バイト帰りは腹が減っている。何かお腹に入れるものが欲しかった。

 

 

僕の前を歩いていたおじさんもセブンイレブンに入った。

そのおじさんは入り口のすぐ右の通路、雑誌などが並んでいるところで、別のおじさんと挨拶を交わしていた。おじさんには友人がいるのだ。とても大きな声だったから離れていたけれど話すのが聞こえた。店内は少し安酒の匂いがした。

 

 

僕が歩きながら店内を物色していると、1人の会社員が雑誌の前の通路を通っているのが見えた。会社員はそのまま外に出ようとすると、おじさんが「おい、お前!」と大声で会社員を呼んだ。

なにやら不穏な空気になってきた。

僕は無関係なのでおにぎりのコーナーを見つつ聞き耳を立てていた。こういうのってちょっときになるよね。

 

 

聞いていると、どうやら会社員がおじさんたちを通りすぎる際に少しぶつかったのに無視したことが気に入らないらしい。そのまま店内で口論を続けていた。喧嘩を売るおっさんと、その喧嘩を買う会社員、おっさんを止める友人。コンビニの入り口で大声で言い合いしている。

 

僕はレジで「KAGOMEグリーンスムージー」と「セブンのモンブラン」を買った。KAGOMEのスムージーシリーズおいしいよね、僕はバナナと豆乳のが一番好きです。セブンのモンブランもおいしいから頑張った日に食べてみてね。

 

 

イヤフォン越しにおっさんたちの喧嘩を聞いていると「外出ろやコラァ」と聞こえた。おっ。かっこいいじゃーん。と心の中で呟く。

 

僕が会計して外に出ると、彼らはまだ外に出て同じように口喧嘩していた。

飛びかかろうとするおっさん、カバンを置き上着を脱ぐ会社員、おっさんの腕を必死に抑える友人。自転車に乗る僕。

 

 

もうコンビニに用はなかったから自転車で帰ったけど、結局一回も殴るところを見なかった。

 

おっさんの喧嘩を見学した結果、いくつかわかったことがある。

 

①おっさんの喧嘩でも、揉め事特有の不穏な空気は感じる。

中学生の時に、地元のヤンキーの喧嘩を見たりコンビニの入り口にガラの悪い奴がいるときに感じていた、不穏な空気はおっさんでも感じさせることがわかった。ある種の凶暴さや暴力性が発揮される場面ではその場の雰囲気は独特の悪くなり方を示すのだ。それはちょうど雨の降りそうな曇天の日の予感に似ている。

 

 

②おっさんが喧嘩してもやはり格好良くない。

「クローズ」という映画をご存知だろうか。不良高校が校庭でたくさん喧嘩する映画である。もしあの映画のキャストを総入れ替えして、全部おっさんにしたら面白いだろうか。きっと笑えこそするけれど、シリアスなかっこよさはなくなってしまうと思う。蛭子さんなんかが「ゴラァ ァァ」とバットを持って走ってもどこか気の抜けた光景、というか「これはコメディなんだ」と勝手に認識されてしまうように思う。

 

 

結果として、おっさんになっても喧嘩はやらないようにしたいなと思った。

喧嘩を売られても買わなければいい。

 

僕はおっさんになったら、家で本読んだり詩歌を嗜んだり、山に登ったりするくらいがちょうどいいなと思った。

あ、それ今と一緒か。