2023.10.7

人と歩くことの多い日だった。

 

一人は13時くらいに合流して、井の頭公園を一周した。初めて動物園のゾーンを見つけて、入ってみたい、と言って入ってみることにした。井の頭公園の動物園は2つに分かれていて、今回は水生館という、魚や鳥がいるほうの動物園に入った。個人的には水や魚が好きなのでミニ水族館みたいな建物が大変良かった。川魚が泳いでいて癒やされた。私はアマゾンの魚とかを見るより身近なところにいる見たことのない動植物のほうが興味を惹かれる。だから、しながわ水族館や昔渋谷にあった100円で入れる植物園が好きなのだ。鳥は猛禽が見たかったけれどいなかった。残念。

本当はもう一つの動物園のほうも見たかったけれど、私が次の予定があったから駅の方へ向かうことにした。それで残りの池の部分をどんどんと歩く。一周するころには時間がギリギリになっていて、「間に合うの!?」と何度も訊かれながら一生懸命歩いた。

 

それから井の頭線に乗った。もうひとりの友人Kさんは、同じ電車に乗ってきてくれたのでスムーズに合流できた。浜田山の駅で降りて、南の方へひたすら歩いていく。私がTOKYO ART BOOK FAIRに出す予定があって、そのために木の写真を撮りためているという話をしていたので途中途中で公園に寄ってもらった。いくつも公園に入っては抜けていって、でもそのどれもが混みすぎていなく、しかも品のよい公園だった。浜田山はハイソな街なんだろう。道ですれ違う車もメルセデスBMWなどの高級車ばかりだった。

目的地はopen letterというギャラリーで、「最後の手段」というグループの展示を見た。open letterは住宅地にあって、オーナーの方に聞くと自宅の一角をギャラリーとして使っているそうだ。ホワイトキューブ的に白く塗装されているのだけれど、木造住宅らしいテキスチャーが残っていてとても居心地のよい空間だった。奥の本棚のある部屋もとてもよかった。展示もコマ送り映像のベースとなる原画やキャラクターの立体が飾られていて素敵だったのだけど、それよりもギャラリーの良さに目を惹かれてしまった。これまでの展示のアーカイブ冊子も見させてもらって、それも同じ版型でパッケージされている感じに好感が持てた。また来たい。

それから高井戸まで歩き、ミヤギフトシさんの作品とライアン・ガンダーのガムの作品を見た。ミヤギフトシさんの作品は展示会場になっているうつわのお店の方が非常に親切で、店終いをした後なのに見させていただいた。他の作品についても教えてもらい、何から何まで。高井戸には本物の井戸があって、レバーをぐいっと押し込んで水を出して遊んだ。Kさんからレジデンスで井戸をモチーフに作品を考案していた話を聞いた。また、この日はアマチャという種類の植物の葉っぱが甘いと公園のパネルで見たのだけれど、それを読んだKさんが甘いか食べてみたい...と言うので一緒に公園の植物をかじるくだりがあったことも忘れないようにしたい。アマチャの葉は私はキウイの皮の味のように感じられた。

それから吉祥寺駅に戻って、ミスタードーナツで汁麺を食べた。以前来た時になくてがっかりしたことがあったのでリベンジしたのだ。久々の汁麺は特別おいしいというわけではなかったが、それでも落ちつく味だった。

 

というように日記を書きながら思ったのは、「忘れたくないことを書く」ということが日記の原動力としてあるのだ、ということだ。なにもない日じゃなくて、人に会った日やなにかをした日は、忘れることがもったいなく感じられてしまう。すべてを書きたい気持ちになってしまうが、細かく書いていく技術はないし、もし書けたとしても現実すべてを書き切ることはできないだろう。それでも日記というものの持つ一つの側面には気づくことができる。記憶を保管しておくということだ。私はそれが人間しか読めない、人間の痕跡として後世に残っていくことがものすごく有意義でロマンチックなことと感じる。私は50年後にこの日記を読み返すだろうか?