2023.8.16

あまり寝られずに朝を迎えた。起きて、バナーの仕事を完成させて送った。

 

昼過ぎに家を出て神楽坂にあるアルスクモノイという古書店へ向かう。今日はどういうわけか胸が痛くなりやすい日で、すぐネガティブに陥る日。動悸もする。今日はコーヒーしか口にしてないからかもしれないし、寝不足がよくないのかもしれない。胸の痛みはストレスへのセンサーとして働いているが、普通に体調不良なので早くなくなってほしい。一番憂鬱がひどかった時に頻発していたが、どういうわけか最近よくぶり返すようになった。アルスクモノイでは立花文穂さんの『球体12号』を購入し、レジの人と少し話す。店主が無類の立花さんのファンなのでぜひとも話してみてほしかったです、と言われる。

 

江戸川橋駅から市ヶ谷を経由して新宿三丁目へ。最近ときどき遊ぶアーティストの友人と合流してギャラリーに行く予定があった。世界堂でアクリル板を買っている間に着いたようで、友人の同居人と3人でKEN NAKAHASHIへ。森栄喜さんの展示を見た。断片的でなめらかな映像、色面がすばやく切り替わる画面、鳥の声、ラジオから流れる音声、絵画などの平面、あらゆる状態がひとつの部屋に集まっている様子はカオスなようであって居心地がよかった。映像のなかでは人が何かをつぶやいているようだったがその声は聞こえない。声は消されたのか、あるいは元から何も話していなかったのか分からなかった。

 

3人で新宿駅まで歩いた。私と友人は気心が知れているが、同居人の人とはまだ距離を測りかねているところがある。私たちはほとんど喋らずに歩いた。こういうときに積極的に距離を詰めようと動くことができない。何か失言をしてその人を傷つけたり、あるいは私が傷つけられたりすることが不安だから。

中央線に乗ってからは2人が持ち歩いていたぬいぐるみが登場したので、場は和やかになった。私はぬいぐるみに話しかけているのか、はたまた本人に話しかけているのか分からないがただ質問をしたり声を投げかけたりした。それから西荻窪で降りた。

 

一人になるとやはり胸が痛くなったりする。元パートナーに「それは私の知っている躁鬱じゃないよ」と言われたことが何度も思い出されてくるので、やっぱりそのことが気になっているのだと思う。私はそのことを客観的に見て完全にアウトな発言だと認知している。たぶん元パートナーのミス、失言だったと思っていて人間生きていればそういうことを言ってしまうこともあると思うから、その場では言葉に反応せずにやり過ごした覚えがある。本当は怒ったりしたほうが良いと思うんだけど反応しないことも防衛反応だったのかもしれない。ただ、やはりその言葉は身体に残っていて、本当にしんどいときに頼れなくなってしまった。しかるべきタイミングで反応し、ちゃんと怒ったり傷ついたりすることはすごく大事なんだと、私は最近ようやく気がついた。