2023.9.28

今日も夕方まで仕事をして、それから家を出た。どうにもデスクに向かえなさそうな気分だったので、外で時間を使いたかった。まだ18時前だしと思ってマクドナルドに入ってみる。マクドナルドにはテーブル席とカウンターがある。本当はテーブルがよかったが、ほとんど埋まっていたし、隣との距離も近い。かえってストレスになりそうだと思って、カウンターに座ってハンバーガーを食べた。終わってから、さて作業をしようとパソコンを開くも、後ろを人が通るたびに気になって集中できない。

 

この、後ろに人がいるという状態がすごく気になってしまう。お店などでもそうだし、あとは道を歩いているときに後ろから足音が聞こえるのがストレスで、そのことしか考えられなくなる。すべての注意を持っていかれ、他の思考ができなくなってしまう。赤ちゃんの鳴き声がする場所でも同じように気をとられてるので、この気の取られ方を研究したり、誰か名前をつけたらいいんじゃないかと思う。

 

同じような経験に、日本語の音楽やラジオを聞いていると文章を書いたりデザインをしたりすることができなくなるということがある。理由はたぶん曲の歌詞や人の語りから意味が入ってきてしまって、脳のなかで意味と思考が干渉してしまうから。思考というのは意味だから、意味と意味がぶつかったり混線したりする。これは私だけかと思っていたが、保坂和志の『書きあぐねている人のための小説講座』にも同じことが書かれていて驚いた。やはり、意味があるということが問題だと書いてあった。似た経験をしている人を初めて知ったので嬉しかった。だから私は歌詞のない音楽や、海外の曲を仕事するときには聴くようにしている。