2023.9.14

昼過ぎからカウンセリングの予約を入れていて、初めて行く白金のカウンセリングセンターへ。一車線のそこまで大きくない道に沿って歩いている左手に雑居ビルがあり、1階には料亭が入っている。その上の階がカウンセリングセンターになっていて、ピンポンを押して呼び出す形。2Kのマンションくらいの大きさで、そのうちの一室に通される。窓際の部屋だが、外は見えないようにカーテンで窓がカバーされていた。モデルルームのように新品みたいなカーペットが敷かれ、新品みたいなソファやチェストが置かれていた。作り物みたいな部屋だ。そこで1時間くらい質問を受けながら話していく。飲み物は出なかった。カウンセラーは聞くのがうまく、私は話がしやすかった。質問の頻度や対象が的確で、頭の中にある話せる領域からするすると引き出しやすかった。話すことの快感みたいなものってこういうことなのかなと思った。相手にもよるけれど、私は普段話すことに気持ちよさを感じられないので、あまり話さない。聞くことにはあるのでよく人の話を聞く。話をすることの不安さの程度によって、私の振る舞いも変わっていく。大抵は話を聞いてばかりいる。

終わったあと思ったこと。カウンセリングって、話の中で何か新しい言葉や記憶や感覚が見つかってくるのかと思っていた。でも今回はそんなことはなくて、ただ話してすっきりしたという感じだった。運動後のようなすっきり感で、身体が少しほぐれたような感じがあった。疲れはそんなになかった。一つだけ違和感が残ったことがあって、それは「あなたは「躁鬱っぽい」だけで躁鬱ではないと思う」と言われたこと。どういう理由かわからないがもやもやした。グレーゾーンみたいな感じが、曖昧でふわふわするようで、嫌なのか。私はいま名字が変わりそう(というか変わることはほぼ確定している移行期間)で、そこもふわふわしている。足元はぐらぐらしている。

「何か大きい不安みたいなものから逃れるように鬱が来ているんじゃないかと思うんです」と言われて、これは半分くらいは腑に落ちていて、残りは宙に浮いている。そこまで不安がないような気がするんだけど、という点だ。でも無自覚に不安を持っている可能性もあるからなんとも言えない。カウンセリングに行ってみて悪いことはなかった。でも劇的に何かが変わるというわけでもなかった。

 

最近は文フリ本のために過去のブログを見返していて、意外とそれがヒントになって書き始められるということがある。バーっと最初に700字位書いて、あとでこれを清書したら1500〜2000字くらいにはなると思う。それが20本くらいあったら一冊できる。それくらいの気楽さで臨みたいと思う。そのまま載せたい文章も見つかった。本を作る・まとまった文章を書く、ということをやってみようとすると意外と勉強になることが多い。手を動かしてこそ得られるものはある。