2023.8.17

少し前に誘われて友人と足利へ。電車で2時間半、1500円くらいで行けるらしく、栃木の足利まではそれなりに距離があると思っていたのに、予想よりも近くてどこかくすぐられるような気持ちになった。それか、2時間半という時間が移動にしては短く感じられるようになったのかもしれない。

中央線、湘南新宿ライン宇都宮線東武伊勢崎線、といくつかの電車を乗り継ぐ。電車を乗り換えると人が変わり、視界に映るものも変わる。海外の空港に降り立ったときの空気の変わりかたが懐かしくて、近々どこかに行けたらいい。


足利は想像していたよりは小さな街で、人々の中心がどこにあるのか分からなかった。私は地方都市に育ったからだいたい地方都市の人の集まり方は分かる。駅前か、どこかにあるイオンモール的なものか。足利は駅前も栄えておらず、モール的なものも見つけられなかったので私は混乱した。見つけることでその街の成り立ち方を仮にでも理解して安心したり、あるいは、どこのあたりを歩いたら良いものに出くわすことができるかを感覚的に知ろうとしたのかもしれない。結局よく分からなかった。


『顕神の夢』と題された展示はなかなかおもしろくて、何より学芸員が書いたであろうパネルのテキストに熱量を感じた。何かを本気で信じていたり何かに突き動かされたりしてできあがったものは美しい。とはいえ私はそのキュレーション的な意図や目論見みたいなものにそこまで力点を置くことができず、ただの絵の良さを受け取ろうと思って展示を見てしまう。「絵がある」ということ以上に必要なものはない。知人のO JUNさんの絵が見られたのもよかった。O JUNさんは何かのテキストで、絵が「もういい」と話してくるときがある、というようなことを書いていて私はそういう話を聞くとただただ感服してしまう。

帰りの電車に乗っていたら、山合いに雨の降っている場所が見えて、それから少しして私たちも雨の中に入り込んだ。私はただ雨を眺めるわけだが、眺める行為の気持ちよさはどこから来るんだろうと思っている。私は大金持ちになったら飽きるまで電車に乗ったりして一日を過ごしたい。安全な場所から眺めることは一番の贅沢だ。