ぼくと彼のあいだには

この文章は青山ブックセンター本店で開催した選書フェア「揺れる少年たち」の特別冊子に寄稿したものです。

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 朴という友だちがいる。

 

 朴は中学が一緒で、3年生の途中にぼくのいるバスケ部に入ってきた。「本当はバスケ、やってみたかったんだよ」。それからは一緒にコートを走りまわるようになった。知らなかったのだけれど、実は朴とは帰り道がほとんど同じだった。だから、自然と毎日一緒に帰るようになった。

 

「今日の練習しんどかったよなー」二人で自転車を漕ぎながら帰る時間は、とてもゆるやかで心地よかったのを覚えている。それはこわいコーチや厳しい練習に耐えたことに対するボーナスのようなものだった。ぼくと朴の仲は急速に深まっていった。ぼくらが通っていたのは中高一貫校だったので、これから3年以上も一緒に過ごせる! ぼくは喜びに舞い上がりそうだった。帰りにはファミマに寄ってレジ横のチキンを食べた。めちゃくちゃうまい!なんかいつも食ってるのより全然うまい。暮れかけのオレンジのなか、自転車のサドルに腰掛けながらぼくらは際限なく喋った。

 

 おれさ、いまめっちゃいい感じ。え、まじで? 実はおれもー。てか、むしろ、おれのほうがいいとこまで来てるわ。うっせ、どっちでもええわ。おれら、こんな感じで大人になってくのかな。きっと高校を一緒に卒業して、そしたら大学に行って、いつかばらばらになっちゃうような気がする。だから、絶対にありえないけど、永遠にこれがつづいてくといいのにって時々思うんだよな。おれも時々思うわ、そうだよな。でも大丈夫だよ、おれたちはずっとこんな感じだよ。きっとな。

 

              *

 

 ぼくらが中学を卒業する2週間ほど前、あの大きな地震が起こった。体育館の天井は落ち、街中のブロック塀が倒れた。当然、卒業式は中止になった。教室で卒業証書をもらって、それから1ヶ月くらい学校は休みになった。その間も朴とはバスケやゲームをしていた。「いまのところ、韓国に帰るって話はないから大丈夫だと思うよ」と彼はいつもの気の抜けた顔で言った。しかし数ヶ月後には朴の母親と妹は韓国に帰った。父親と朴だけが日本に残った。「なんか、女の人のほうが放射能で悪い影響出るらしくて、二人だけ帰ることになっちゃった」「飯とか、大丈夫?」「うん、父親が張り切って作ってるよ」そして、ぼくらは高校生になった。

 

 時間は飛ぶように過ぎる。高校2年にあがった春、それは起きた。「韓国に、帰らなきゃいけなくなった」。朴は突然ぼくに告げたのだ。「実は前々から話は出ていて、なんとか引き延してきたんだけど……そろそろ日本にいるの無理そうなんだよね」。ぼくは答えはわかっていたのに思わず、どうにかならないの、と聞いてしまった。うちに住めばいいじゃん。でも、母親が待ってるから。親父は、韓国での転職も決まったし。彼の決心は固く、ぼくは無力だった。

 

 引っ越すとき、ぼくは一つお願いをした。朴が乗ってた自転車、捨てちゃうんだったら俺にくれない? いいよー、彼は快諾してくれた。自転車は「ストロング・コリアン号」という名前がついていた。周りの連中に冗談でそう呼ばれていたのだった。朴はそういうことを言われても笑うだけで決して本気では怒らなかった。でも、彼はどんなにせがまれても人前では決して韓国語を話さないし、人が家に遊びに来ることを嫌がった。彼は韓国人として扱われるのを嫌がっていた。だからこそ「ストロング・コリアン号」は絶対にぼくがもらうと決めていた。

 

「自転車にカギ差しといたから好きに取ってって」と彼はメールしてくれていて、住んでいたマンションまで歩いて取りに行った。コンクリ建てのおしゃれなマンションだった。よくこの前一緒に通ったっけ。難なく自転車は手に入れたけど、すぐ家に帰れそうにもなく、ぼくはブックオフで立ち読みをした。ピューと吹くジャガー、おもしろい。銀魂、おもしろい。暗くなってから自転車に乗って家に帰ったが何も話せなかった。ベランダに出て一人ですこし泣いた。

 

              *

 

 そんな彼に昨年、久々に会った。彼はぜんぜん変わってなかったが日本語は少しだけ下手になっていて、それが少し笑えた。ぼくらはともに街を歩き、道端でコンビニのホットフードを食べた。ああ、あのときと同じだ。いま朴と一緒にいる、ぼくは確信した。ぼくは彼と同じ場所にいる。目があい、相手の声を、直接聞くことができる。昔の話をして一緒に笑いあえる。中3のあの、特別な時間の先に「いま」がある、そう体感した。ぼくと彼は別々の「いま」を推し進めてまた交わっている。そんなことに比べたら、彼とぼくのあいだに何があるというのだろう。海なのか、壁なのか、それとも空気か。いや、そんなもの、ほんとうは存在しないのではないか。ぼくらはいつだって目の前の、実際に触ることのできることだけ信じるべきでだ。そして、人と人の間には「いま」の結びつきがあるだけじゃないのか。「こういうふうに思うんだけど」

 どうかな、とぼくは聞いてみる。

 

 そんなの当たり前じゃん、と朴は笑った。