大きな蟻(9/13)

この土日は車を運転して神奈川へ。箱根のPOLA美術館へ行ったり、お墓参りをしたりした。土曜の夜は厚木にある温泉旅館に泊まった。七沢温泉というらしい。

 

私が運転していたが、同乗者が車に酔いまくってしまって、とても可哀想だった。実は、「可哀想」という言葉を見つけるまで少し時間がかかった。最初は車に酔っていて気持ち悪そうなので「大丈夫?」と聞いていた。習慣的に、まず大丈夫? と体が勝手に聞いてしまう。でも、大丈夫? と聞かれたら大丈夫! と答えるしかない。なので、実質あんまり意味のある言葉ではないように思う。そして、言葉を模索しはじめる。「ごめんね」と言ってみたがちょっと違う。酔っているのは車を運転している私の技術不足のせいかもしれないけれど、それを詫びるのはお門違いだろう。詫びようとする自分もよくない。次に「どんまい」と言った。どんまいは「Don't mind」だ。つまり、気にするな。気にするなもなにも気持ち悪いのだ、これもちがう。そして結局、「可哀想」に落ち着いた。

しかし、可哀想と言われた相手はどう思うのか。とりたててどうも思わない気がする。というか可哀想って言われて誰が喜ぶのか。私は言われるたびにどんな反応をすればいいのか分からなくて困惑してしまう。というわけで、もやもやの残る結果となったので、調子の悪い相手にどんな言葉をかければいいのか、今後も考えていく必要がある。自分は何を言われてもあんまり関係ないけど...

 

そうはいいつつも、車を運転する楽しみに目覚めてきた。ひとまずドコモの「d カーシェア」に登録してみた。そんなに使うわけでもないので月額費が無料のサービスに。運転が楽しいというのもあるけれど、それよりも「いつでも車でどこかへ行ける」という保険(+武器)を作っておくことが大きな自分の余裕になると感じたのだ。だって、登録さえしておけば好きな場所からすぐに車に乗って運転できるのだ。なんてロマンがあるんだろう。これだけで、精神的な安定につながる。会社の昼休みにドライブなんてこともできちゃう。すごい可能性。

 

帰りの運転中に、私がキレ気味のタクシー運転手と戦った話をした。先月タクシーに載ったときに、乗車時から喧嘩腰の運転手に気圧されないように、こちらも強気で応答したことがあったのだ。私はここ最近、「強いものと対等にコミュニケートしていくこと」を行動の目標にしているから、積極的にうごいてみた。結果的には、運転手が怒りを収めて丁寧に対応しはじめたので、私もちゃんとお礼を言って車をあとにした。

これを話すと、同乗者は「それはいい成功体験になったんじゃない?」と言ってくれた。確かに。「1人だとそんなことあったなー」の話で終わったけれど、第三者からコメントをもらうと多角的に結果を受け止められる。自信を持ってもいいのかもしれない。上下関係なんてものは存在しない、人間は本来的には誰とでも対等に会話していいはずだと信じているので、あらゆる場所でこれを貫いていきたい。もちろん、不当に相手の気分を害したくはないが。