大きな蟻(9/8)

仕事。忙しいのか忙しくないのかちょっとよく分からなくなる。ただ、淡々とこなす。昼にとなりのとなりのビルの地下一階の料理店にテイクアウトがあることを知って向かってみる。確かに存在して、ファラフェルのサンドイッチを食べた。ファラフェルや香草がピタパンにはさまれていておいしい。時々、ファラフェルがむしょうに食べたくなる。

 

残業して22時ごろ帰宅。残業はできるのだが、時間がなくなるのが困る。家で同居人の作ってくれたご飯を食べる。一通り喋りながら、「私の家政婦ナギサさん」の総集編を観て、すべて観終わったような気分になる。

その後、手刷りのTシャツを先輩に送る。先輩は大学のころから世話になっており、イエローページにもまず最初に書いてくれた人だ。変な人だが、心が柔軟で、コミュニケーションが取れる。いろんな恩があるのでTシャツを送った。

ミニストップの前のポストに出したあとでジャンプを読もうと店内に入るもなかった。仕方なく、ソフトクリームを注文し、食べながら散歩をした。散歩をしている間は米津玄師の初期のアルバムを流していたのだが、これが心にこたえる。

ちょうど高校生くらいのときに聴いていたもので、実家の様子がありありと思い起こされてくる。何も分からない状態だが、はやくどこかへ行きたいという思いで苦しんでいた。それ自体には無自覚だったが、あれは苦しみだったんだろうと今でこそ振り返ることができる。正体がわからない病理に侵されてるような感覚。なんかわからないけど、どこにいても居心地が悪い。そういう感覚をうっすらといつも抱えていて、一人でいるときに何より安心していた。

 

この時、私は17歳くらいの自分と会い直している、もしくは当時を再体験しているような感覚を持っている。

この間ワタリウム美術館の展示を観てきた。大好きな写真家の齋藤陽道さんと谷川俊太郎さんの筆談トークショーの模様が映像記録されていた。そこで、谷川さんが年輪のような絵を書いて「0歳の僕が真ん中にいる、20歳はここらへん」と中心から外側に向かって歳をとっていくんだ、今は一番外側にいるけど内側にはいつも子供の僕がいるんだ、というようなことを話されていた(書いていた)。

私は歩きながらそのことを考えていた。