昔、家の隣に雑木林があった

 僕の実家の隣には、雑木林があった。僕の実家は茨城県水戸市というところにある。水戸は県庁所在地なのでそれなりの規模の都市ではあったが、地方都市特有のどんよりとした閉塞的な空気が街全体に漂っていた。どこにも出ていけないような、どこに行っても壁に当たってしまうような感じ。僕の家は水戸の中でも、赤塚駅というもっとこじんまりとした駅から歩いて15分くらいのところにあった。赤塚駅の前には大きいスーパーと少しダサいゲームセンターがあった。それ以外は、一軒家、駐車場、アパート、団地。あたりを見渡しても退屈しかないような住宅地に建築士だった父は、家を建てた。

 

 

 雑木林の周囲には一軒家が三軒、林に背を向ける形で並んでいた。林の隣にはかなり奥行きのあるアパートがあった。50メートル弱はあったんじゃないだろうか。アパートはいつも薄暗くて若干酸っぱい匂いがした。蛾とカメムシの死骸がよく落ちていた。上から見れば林は長方形で、短い方の一辺は三軒の家、長い方の一辺はアパートだった。短辺の向かいには細い道が、長辺の向かいには線路があった。僕の暮らしていた家は、ちょうど三軒の家の短辺とアパートの長辺がぶつかるところにあり、自由に出入りができた。

 何故かそこだけが林として放置されており、なんとなく異質な場所だなぁと思っていた。住宅地の中にあるものの立派な林だったので夏にはカブトムシやクワガタを採ることができた。カナブンも家に飛び込んできたし、アオダイショウが家に現れることもあった。ナナフシを初めて見たのもその林だった。

 

 小学生の僕はとても活発で元気な子だったので、友達とそこで色んな遊びをした。ただ走り回ったり、かくれんぼをしたり、木登りしたり。中でもよく覚えているのは秘密基地を作ったことだ。当時流行っていたゲーム、『ポケットモンスター ルビー/サファイア』ではポケモンの技を使って秘密基地を作ることができた。草むらや洞窟など、秘密基地を作れる場所が数ヵ所あって、僕は木のうろのなかに作るのが好きだった。その影響をモロに受け、秘密基地に存在に憧れるようになった僕は友達を誘って秘密基地作りを始める。当然、大人には内緒だった。僕たちは林を徘徊し、木の枝や葉っぱを集め始める。木の板は同居していた祖父から調達した。昔は田舎で木工所を営んでいたのだ。

 

 

 数ヶ月を経て、秘密基地は完成した。一見するとオンボロな小屋みたいな見かけだった。中は子供が六人程度入れる広さで、屋根は木の柱に薄い板と葉っぱを載せた本格的なものだ。丸太を持ち込んで座れるようにした。僕らは秘密基地に異常な愛着を持ち、中でゲームをやったりお菓子を持ってきて食べたりした。暑い日も汗を書きながらゲームをした。冬は寒いから米川くんの家で『スマッシュブラザーズ』や『スーパーマリオ64』をやった。秘密基地ができたことが嬉しすぎて、我慢できなくなり、僕は母に「あの林に秘密基地を作ったんだ」と教えた。その時点で、もはや秘密基地ではなくただの基地なのだがそんなことどうでもよくなるくらい、秘密基地に熱中していた。

 

 そんな良き思い出のある秘密基地は、ある日突然なくなった。知らない大人に壊されたのだ。これには僕も怒った。普段は温厚な性格である僕も怒った。あまりに理不尽なではないか。俺があんなに大事にしていた秘密基地を一瞬で壊しやがって。壊したやつらの頭を後ろから思い切りシャベルで殴ってやる。なんども想像した。

 しかし事態は秘密基地が壊されるだけでは済まなかった。なんと雑木林自体がなくなってしまったのだ。林は開発され、赤茶色の土が広がる平らな空き地になってしまった。かなりショックだった。もはや怒りを通り越して喪失感しかない。友達と何度も遊んだ。死んだ飼い犬とも幾度となく散歩をした。誰が一体こんなことをしたのか。

 

 

 

 犯人はほどなくして判明した。たまたま帰って来た父がこう言ったのだ。

「おう、ヒロキ。そこの空き地、今度父ちゃんが家建てんだ」

 お前だったのか。僕は絶望した。何を話せばいいか分からなかった。父は僕の感情なんて分かってない。父は僕の感情なんて分かってない。小さい頃の自分にとって、両親は神さまくらいの影響力を持っていた。両親が決めたことには、いくら反発しても、結果的には従うしかない。無力感でいっぱいだった。もう分からない。運命を受け入れるしかないのか。無力な子供の僕が何を言ったところで、父にはかなわない。もっと小さかった時に父に怒り、本気で向かっていったら思いきりぶっ飛ばされた記憶がある。何を言ったところで、役に立たない。

 

 

 今では、雑木林のあった場所には家が五軒建っている。いろんな家族が暮らし、家の前でボール遊びをしている子供の姿をたまに見かけた。穏やかで幸せな光景。目にした誰もが眩しくて目を細めるような。父はきっと自らの仕事を自慢げに話した。「この場所はもともと雑木林でした。土地を有効活用できていないことに気が付いた私が、土地を開発しピカピカの家を建てたのです。家からは親と子供達の笑い声が聞こえ、夜になれば暖かな明かりが漏れる。誰もが幸せになった。ゆえにこの事業は完全に成功だったと言えます」

 

 

 しかし僕は騙されない。父が家を建てたせいで僕は大事な居場所を一つ失ったのだ。良い面だけのものなんて存在しない。調子のいい言葉に翻弄されてはいけない。秘密基地と雑木林を失って、僕はどんどん父を信用できなくなった。父は自分を理解してくれない、と思い始める。そのまま順調に成長したので、今では僕は父のことを家族だと思って接することができない。というか、家族ってなんだ? どう接すればいいんだ? 

 

いまだに悩んでいる。