宇宙 ラオス ルアンパバーン

ラオスにいったい何があるんだよ」と僕が冗談じゃなくて本気で聞き返したのは、長屋が突然「ラオスに行こう」と誘ってきたからだった。僕と長屋は大学の食堂で遅めの昼ごはんを食べていた。びっくりするかもしれないんやけど、で始めて、彼は言った。

「象使いになろうと思うんや」

 

 梅雨明けのぬるい空気の中で長屋はゆっくりと説明した。

 ラオスでは象使いの資格を取ることができること。1日だけ講習を受ければいいこと。交通費と宿泊費、講習代をあわせて費用は約5万円かかること。就職活動で何の資格も持っていないのを恥ずかしいと思ったこと。

「この4年間でなんにもできひんかったって痛感したんや。だから今からでも何か手に入れたい。何かを始めるのに遅いっちゅうことはないねん」

 誘われてみると意外にも象使いの資格はとても魅力的で、キラキラして見えた。動物園に行っても決して触れなかった「ゾウさん」に乗ることができるなんて。旅費は夏休みにバイトを増やせば何とかなる。

 僕は一緒に行くことに決めた。

 

 僕たちが向かったのはラオスルアンパバーンという街だった。首都のビエンチャンに対して、京都のような位置づけである。街には多くの寺院が存在し、早朝には橙色の衣に身を包んだ托鉢僧が街中を歩いて回る。中部国際空港からベトナムハノイに行き、小さいプロペラ機に乗りかえてからルアンパバーンに飛んだ。ルアンパバーン空港は白く木造で、古い学校の校舎みたいだった。長屋は大きめのフレッシュネスバーガーみたいだ、と言った。

 

 僕らは三泊四日の旅を満喫した。ゾウ使いの講習は3000円くらいで受けることができた。ゾウへの命令を一通り頭に入れ、教員とともにゾウの背中に乗る。あとはひたすら命令を叫ぶだけだった。僕らは叫んだ。「パイパーイ!」。「進め」のサインだ。終盤にはゾウに乗ったまま、茶色く濁ったメコン川に入った。近くにはゾウの糞がぷかぷかと浮かんでいた。帰りにはスコールに打たれるアクシデントがあったものの、なんなく象使い免許をゲットすることができた。5時間くらい叫んでいるだけで免許が取れてしまったため、長屋は「こんな簡単に取れるなんて詐欺やろ」と言った。しかし、顔はすごく満足そうだった。

 

 

 それ以外の時間、僕らはやることもなくただ街をぷらぷらと散歩していた。現地のビールである「ビア・ラオ」を片手に、半袖短パンで歩くラオスは心地よい。ゲストハウスに荷物を置いて適当に歩き回っているとたまたま本屋を見つけた。店は市街を南北に走る片道一車線の道路沿いにあり、木造の一軒家を改装したかのような造りだった。奥行きがあり日本の長屋によく似てるな、と思った。三〇代半ばだと思われる女性が店番をしているようだ。常連と思しき他の女性と談笑しているのが見える。

 

 店の入り口にある看板には「BOOKSHOP/EXCHANGE」と書いてあった。壁に書いてある注意書きを読むと、本を手に入れるにはお金を払うかほかの本を1冊渡す必要があることが分かった。僕はせっかくラオスに来たんだし、と交換することにした。たまたま本を持っていたのだ。

 

くちぶえサンドイッチ』は松浦弥太郎の初期のエッセイ集である。文庫本ならかさばらないし、旅に持っていくにはこういう本が良いのかなあと思い、リュックに入れておいたのだ。ほとんど読んでなかったが、近所の古本屋に単行本があったので買い直せばいいだろう。いま持っているのは交換に出してしまうことにした。僕はゆっくりと本を選んだ。これだ、と思ったのは文字は読めないが表紙のくだものと男の子の絵がかわいい絵本だった。

 僕は絵本と『くちぶえサンドイッチ』を手に、レジへ向かう。店番の女性にこれとこれを交換してください、とお願いするも、どうもダメそうなリアクションだった。ラオス語は話せないので理由はわからないができないものは仕方がない。交換は諦めた。手元には『くちぶえサンドイッチ』が残った。

 しかしやっかいなもので、僕はだんだん本を持って帰るのが嫌になってきた。一回手放すと決めたのに、なんで持って帰らなければいけないのか。

「じゃあ、この本あげるから引き取ってくれませんか」

 僕が英語と身振り手振りで伝えたところ、隣に図書館があるからそこで本の寄付してくれ、とのことだった。

 

 僕はお礼を言って隣の建物に入り、受付の職員に本の寄付を申し出た。日本人が日本語の本をくれるとは思っていなかったのだろう、戸惑った表情をしながらも快諾してくれたため、『くちぶえサンドイッチ』は図書館に入ることになった。図書館は日本語で書かれた本は一冊もなかったが、楽しく過ごすことができた。それに近隣の人々もたくさん利用していた。こんなところに置かれるなら、本もさみしくないだろう。翌日、僕は日本に帰ってきた。

 

 

 それからの生活に戻ったあとで、ラオスに置いてきた本のことは忘れている。毎日やることがあるのだ。しかし夜寝る前に目をつぶっていると、まれに思い出すことがある。ラオスの地方都市の小さな本屋と図書館とその棚に収められた一冊の本。そしてあの時の職員や利用客のことを。

 

 人工衛星からでないと、ここからラオスを見ることはできない。グーグルマップで図書館を見てみる。おお、本当にある。ここに僕の本があるんだよな。遠いところに自分の本があることに感動する。ほぼ同時に、そこから見たら僕も同じだなあ、と思いつく。再びマップで探してみる。

 日本の、広い東京の、杉並にある狭い部屋に僕が眠っているのが見える。僕は夢を見ているのだろうか。それとも目をつぶっているだけだろうか。あの本は、本屋のことは夢だったのだろうか。そして自分は何なんだろうか。ふいに分からなくなる。自分と世界の違いが分からなくなる。まあ、どっちでもいいか。考えるのが面倒になったところで気がつくと、朝になっていた。