大きな蟻(3/5)

今日も仕事をした。重版業務のための発注書を送ったり、書店の店頭に置いてもらうためのパネルを作ったり、上司と今年度の課の目標について打ち合わせをした。私は進めている計画の一つのリーダーに決められていた。細長い息が出る。ちょっと自分の体が重くなったように感じる。

 

20時から演劇を観た。こまばアゴラ劇場でゆうめい『弟兄』。コロナウイルス感染への危機感で自粛が増えているなかでの公演決行ではあったが、客席は超満員。ゆうめいは感染へのリスク管理をとても丁寧に行っているように見えた。それがお客さんが観に来ることの信頼感へとつながったのだと思う。

 

内容も、俳優たちの演技もとてもすばらしかった。私は演劇を観たり本を読む時に「叫びがあるか」を確かめるようにしている。「叫び」とは抽象的な言葉だけれど、抑制できなかった感情の現れというか言語化しきれない本音というか、とにかく正直で信念のあることを示す言葉だと思っている。『弟兄』には叫びがあった。言葉の意味外をあらわそうとする意志があった。前回公演の『姿』のときにもそれがあった。だから、ゆうめいの演劇は信用できると思っている。

 

今作ではいじめの描写があった。主人公は中学で酷いいじめにあう。加害者のことは許せないし、とても腹がたった。観ているあいだ、私は自分の中学や高校のことを思い出していた。軽いものだったけれど私も「いじられキャラ」という名目で虐げられる側にいた時期がある。またそれ以上に、主人公のようないじめられる立場の人がクラスにいるのを見てきた。けれど私はなにもしなかった。見て見ぬ振りをしていた。自分がいじられてるときはへらへらと笑ってなんとか回避しようとした。そして、同時に強者の発想も知っているような気がしている。ノリや力を顕示することで相手を屈服させ、自分の思い通りにしようとする傲慢な態度。私も無意識下で行っていた可能性もある。

だから私は、自分自身はこの舞台の誰にでもなることができてしまうと思った。そしてとても凹んだ。がっくりきた。なにかを言うことが怖くて、同じ回を観ていた友人たちにも何も言えなかった。発言してしまえばそれは事実か嘘になってしまう。何が本当だか分からないのに形にすることは怖い。乱暴だし勇気も要る。私にはできない。

そして勝手に私だけ喋らないでいたのに、友人たちに疎外感を感じたりして、ああ自分バッド入ってきてる、と思った。今日はもうだめかもしれない。気持ち悪くなりそうだなと思いつつ、家に帰る途中の西友でとても大きいカツを買った。メンタルの調子が悪いと過食ぎみになる。カツは思ったよりおいしかったが、ちょっと気持ち悪くなった。それでもなにかを口にしながら「Modern Love」を観た。そんなに良くなかった。