大きな蟻(5/6)

10時頃起床。寝坊したのに何もやる気がない。すごいことだ。会社勤めをしている間はそんな風になったことはなかった。メリハリのある人生。

 

やる気のなさと憂鬱にさいなまれつつ、阿佐ヶ谷へ。これは空腹が悪い! と思ったので突然中華料理屋に入った。典型的な町中華。レバニラ炒め定食を食べる。970円。高い! と思ったが、驚くほど高いわけではない。定職についていないのでお金に対しては敏感である。お金がほしい、自炊しなきゃ。

 

午後は新しく買ったプリンターの設定やDTP仕事の再入稿など、細々とやらなければいけないことがあった。いまだ憂鬱だがなんとかこなしていく。18時から渋谷で授業なので、17時20分くらいには家を出なければいけなかった。面倒、憂鬱、行きたくない。嫌だ嫌だと思って、どうしても行きたくないが行かねばならない。電車に乗ること、人と話さなくちゃいけないこと、3時間も絵を書かなければいけないこと、そのすべてが億劫で嫌だった。今日は誰とも話さなくてもいいや...と思い暗い気持ちで向かった。デッサンの授業である。しかし、着いてみると話せる友人がおり、この間の授業での私の怒られっぷりの話になった。めちゃくちゃ理不尽に怒られ、なんだこれはと思っていたら、友人も「あれはおかしい」と話をしてくれたのだった。口を動かして、声を出すことによって少し気持ちが軽くなった。

ちなみに私はその授業の感想レポートに「とても腹が立っているので、何も書きたくない」とだけ記載して提出したのだった。そのことも友人がすごいねやばいねと、まあ、励ましてくれた(レポートは誰でも見れる)。不当な目にあったのなら、それはやはり示さなきゃいけないのだと私は信じている。それには訓練が必要なのだ。

 

デッサンをしているうちにやっぱり気持ちが楽になってきて、帰る頃にはなんとか平常の心まで戻った。つるむようになった友人たちはみんな良い人である。いつも渋谷駅まで歩いて帰っている。

 

私は最近とても憂鬱な気分になることが多くて、全部が嫌だ。すべてを投げ出して失踪したいと衝動的に思ったり、(なにもしないけど)死にたいな〜消えたいな〜と思うことはよくある。私はこんなとき、誰にも言わない。言ってもいいんだけど、こちらに引っ張ってしまったら悪いなあと思って言えない。代わりにタバコを吸ったり、散歩をしたり、銭湯に行ったりする。時々だけタバコを吸うと落ち着くので本当に安らかである(たくさん吸うと効果が薄れるのでダメ)。お酒は飲めない。こういうときは一人で黙っているのに限るのである。

しかしながら、人の話を聞くのは好きだ。そういうときに頼られたり話をしてくれると、心から力になってあげたいと思う。そもそもが話すのが苦手なのである、だからこの非対称性がうまれているに違いない。

 

全然関係ないが、私はフェアさを重んじる人間で、それは実家の育て方に影響を受けている。母はなぜか兄弟で差をつけることを嫌がり、私は「お兄さんだから」と言って何かを我慢することもなければ、妹と私は下の名前を呼び捨てで呼ぶように教育された。これは私のフェアネス好きにがっつり関係しているように思う。ここで、私の大学の勉強ももしかしたらその影響を受けているのではないか。物理を勉強していた。物理の究極的な目標は「この世界のすべての物の関係をできるかぎりシンプルなルールで表現すること」である。そう、ここにはすべてのものを等しく扱おうという一つの意志がある。万有引力は男女問わずフェアに働き、宇宙旅行をしたら特殊相対性理論の影響は老いも若きも等しく受け入れるしかないのである。くるみもアナグマも自転車も白菜も、すべてが同じルールの元に存在し影響を受ける。なんて素敵なことなんだろう。

そういう意味で物理はよかった。というか、学問はだいたいすべてそんな感じで、その内側においては何もアンフェアなことは起きてないことが多い。人間が関係するからいけないのだ。みんな、星を見て炎を見てすごいなあと思っていたら、何も悪いことは起きずに済むのに。それらに比べたら私たちはなんでもないのに、なぜ自分のことを何かだと思えるんだろう、それで他者に干渉できるんだろう。私たちは限られた短い時間を分かったようなふりをして生きているだけである。せめて、何かを傷つけることのないように、楽しく生きられたらそれが一番ではないだろうか。

どうせ100年もないのだ。