凹みやすく生きにくい人への提案

情けない話だけど、僕はとても凹みやすい。人との間で起こる諸々のトラブルに対して無抵抗に打ちのめされちゃうのだ。それは例えば、自分の知らないとこで言われる文句・ディスだったり、上司からの怒られることだったり、あるいは第三者からの優しさのない否定だったりする。


僕が凹みやすい原因はなんとなくだけど分かっている。それは人との衝突を避けようと思って生きてきたからだ。僕は中学生の時に、友達と喧嘩しよう、もしくさ喧嘩を避けるために媚びへつらおうなんて考えからはリタイアしてしまった。その手のストレスに弱いから、人と対立するくらいなら、つるむ友達は選んで平和的に、地味に仲良くしていこうと思ったのだ。


しかし、それがアダとなって、僕は人の悪意や心のぶつかりに対して本当に弱くなってしまった(と自分では思っている)。だから今日も人づてに自分の文句を聞いてしまって、今も結構ダメージを受けている。だから今日はこんな記事なのだ。「こんなささいなことブログなんかに書いちゃって女々しいやつめ」なーんてまた言われているのかもしれないな、なんて思うところが女々しいのだろうねきっと。


僕は基本的に楽観主義者だから、こういう性格になってしまったことはしょうがないし、感受性が強いと捉えて、これは強みなんだと思うようにしている。気にしないのが1番だ。
ただ、一つ僕が主張したいのは、第三者への文句なんてストレス発散にしかならないし、その割にデメリットが多すぎるということ。文句は長すぎると、聞いてる側も楽しくない(飲みの席での文句の話は長くなりがちだけど)。さらに誰にもプラスにならない。マイナスが少し減るだけだ。そしてその文句を誰が聞いてるかも分からないってこともデメリットだろうな。壁に耳あり障子に目あり。すぐ後ろに上司や恋人がいるなんてこともあり得なくない。


そこで僕が提案したいのは、文句は本人に言おうってことだ。例えば、「トイレを立ってするのが嫌だ」とか「その前髪どうにかした方がいい」ってはっきり言って欲しい。そしたら、僕はそれを肥やしにまだまだ自分を変えれると思うし、変えようと努力することは必ずできる。この方がさっぱりしててシンプルで気持ちいいと思う。
ただ、そこには個人の間の信頼関係の問題が出てくるから難しいねって人が多いんだろうな。つまり、そんなに仲良くない人に直接文句なんて言えないよってことだ。仕方ないと割り切るしかないのか。これは人生の命題になりそうなので、どうしたらいいか提案できなくて申し訳ない。


なにはともあれ、現実的に僕(僕ら)が凹むのはしょうがない。ただ、きちんと得になる凹み方をしたいから、目に見えないものと耳で聞こえないもの以外は信じないように心がけるべきだ。一次情報のみを信じる。あと、本当に信頼したいものだけを信じる。それで、この辛い世の中を生き抜くしかない。うーん、まだうまく言えない。だだ。優しい文句を言えるひとになろう。それが今夜言いたかったことだ。