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じょんするめ

いろんな記事を気まぐれに書きます。イイムラヒロキが書いてます。Twitter:https://mobile.twitter.com/basket_ittsu

世間はVR、VRと賑わっていますが僕はあえて反旗を翻したい

2016年はVR元年と言われて年が変わり、2017年に突入したわけです。

世間はPSVRの発売とともに熱烈にVRにのめり込んでいっている感じがありますね。webの記事サイトとかまとめサイトとか、とにかくVRを推してますからね。さらにはジャンプもVR専門の雑誌を出したりしてとにかくアツイわけです。

でも、僕はあえて言いたい。

「VRで本当にいいの??」

つまりね、VRを使うことってある種、生き物として正しいことじゃないと思うんですよ。だから僕はある程度以上のVR反対の立場にいます。

一体何を言いたいのか?
それはこの調子でVRが発達していくといずれ、僕らは"夢から覚めない"状態に陥ると思うんだよ、ということです。

現状、電子機器に支配されそうなのは視覚と聴覚だけで、残りの味覚・触覚・嗅覚は現実のものとして残っているわけです。だから現実と電子の世界の区別は軽く(鼻で笑えるくらいには)つくわけですね。

でもこれからどんなことが起こってくるのか?
それは他の感覚をも騙せるような装置の登場です。きっと確実に、香りを任意に出せるような機械が出て来て、ゆくゆくは触覚も支配して、全身VRみたいな感じになってくると思うんですよ。

そうすると、それはもはや、"夢"です。自分の好きなシーンを好きに見ることができるようになるし、疲れて眠くなったらVR上のベットに横たわるわけです。そして目をつむる。起きて仮想的カーテンを開けてかりそめの太陽の光を浴びる...みたいな生活に変わるわけです。
そして仮想世界の中で僕らは年を取っていき、その世界の中でホンモノの死を体感して、ハイ人生はおしまいですチャンチャン。となるわけです。

それの何が悪いとは僕も思いません。全然結構ですよ、だってみんなが幸せに暮らせるのだから。
戦争も仕事も憂鬱な人間関係も、嫌な片頭痛もない、というか欲しい人だけやるような世界になると思うので、みんなハッピーです。
でも、その世界からはおそらく"実感"が抜け落ちている。実感とか予感みたいなものってきっと人間の第六感が関わってきていると思うし、信じてるので五感はVRで満たせても、実感を感じることはできないんじゃないかなというのが僕の言い分です。僕はモノの実感を大切にし、評価するタイプの人間です。だから、そんな仮想世界には行きたくないと思ってしまう。いまはまだ、VRはエンターテインメントで済んでいる。だから大丈夫。でもスマホみたいに生活必需品となってしまって、みんな仮想世界の住民になってしまったとき、果たして僕はついていくことができるのかが甚だ心配である。
だからあえて今のうちから反旗を翻そうと思っているのだ。

本当に快適だったら、便利だったらそれでいいの?質より量か?自分にとってやりやすい方に流されてはいないか?ちゃんと考えて行動しているのか?

それが今現在感じている、みんな(僕も含む)に対する警句である。