衝激と引き金
こないだ、ある映画を見た。
劇中で、天災によって街が破壊されていく映像が流れた。
僕は違和感を感じたのだ
この久々に頬を掠め、脳裏をよぎったものは何か。
...
...思い出した。これは震災の記憶。
僕は茨城県の北部に住んでいたのだけれど、それは、僕が中学校3年生のときに起こった出来事だった。
英会話の授業中。一階。揺れる。
全ての机が音を出して揺れる。
女子の小さい悲鳴。
部屋中から鳴る、物と物がぶつかる、いたって現実的で物理的な騒音。
慌てる外国人教師。
揺れる。強くなる。まだ続くのか。
停電。またしても悲鳴。
落ちそうなテレビ。
誰かが外に逃げようと言った。
走る。校庭へ。
上履きのまま地面に立ってしまった。
これは避難訓練じゃない。
ヒナンクンレンジャナインダ。
幸いにも僕の学校では対人的な被害はなかったから、ふざけたりする余裕がある子もいて深刻な雰囲気にはならなかったけれど、多くの生徒が夜もしくは次の朝まで学校で待機しなくてはいけなくて、3月の夜の寒さを嫌という程味わうこととなった。
そして、ニュースに流れる被災地の映像。津波によって壊された街。
圧倒的破壊の行く末がそこにはあった。
何かが破壊されてしまうっていうのはこういうことなんだと思った。
ものすごい流れだった。
圧倒的な量で突然、僕たちのもとにやってきて、暴力的に根こそぎ持って行った。
そういうものを僕は憎む
家から一番近い海水浴場や市場の様子も見た。
何もなかった。
ちなみにそこの水族館の魚たちはすべて死んでしまったらしい。
僕の家は内陸だったけど、それでも家のタイルがはがれ落ちたり、家という家のブロック塀が倒れたりした。
市が調査し認定した危険な住居には赤とか黄の紙が貼られた。それが街中に目立った。色とりどり。
音こそしないけれど、震災が起こった時、確かに何かの悲鳴を聞いた気がした。
僕が映画でそのシーンを見た時、刹那的に脳内を駆け巡ったのはそういうイメージだった。
対して辛い思いもしてない僕がこうなんだから、もっと、もっと心のうちに震災の残痕が残っている人はいるんじゃないかと思う。
だから何だとか僕には結論付けるのは苦手なんだけど、1つだけ言いたいのは、そういう傷跡を抱きしめながら生きていきたい、生きていかなければいけない、ということだ。