ぼくとノミとジョン

覚えている限りで、僕がノミを初めて見たのは小学生の時だったと思う。

当時ちょうど父方の祖父母が僕の住んでいた家で一緒に住むようになった時だった。

それで祖父母が田舎で飼っていた犬を連れてきたのだ。

名前は「ジョン」と言って柴犬に似た雑種のオスだった。もともと祖父母の家に遊びに行くたびに可愛がっていたのもあって、僕と妹はすぐにジョンに慣れた。

母は姑と暮らすようになったわけだけれど、ジョンのおかげでどこかリラックスしているように見えた。

 

あれ、何の話だっけ。

 

思い出した。

そう、僕がノミを見たきっかけはもちろんジョンだ。外で暮らすジョンにはノミやダニがついてしまう。しかし僕は当時それが何なのか分からなかった。

だから、庭にいた祖母に聞いたのだ。

 

「おばあちゃん、これ何?ジョンについてるの」

「あら!いけないわねえ。虫がついちゃって!今取ってあげるから!」

 

そこでおもむろにジョンに近づいた祖母はノミとダニを素手でパッととると、地面に置き、サンダルの底で踏みつけたのだ。祖母が踏みつけた足をどけると、そこにはジョンの血をたっぷり吸ったのか、血が飛沫のように散っていた。そして潰れた虫。

僕が顔を引きつらせていると、祖母は

 

「これで大丈夫よお!アハハハハハハハ!」

 

と去っていった。僕は生まれて初めて犬に同情した。

 

それが僕とノミの鮮烈な出会いであるが、ジョンはこの後21歳まで生き、亡くなった。最後にはろくに動くこともなくなり、ドッグ・フードもほとんど残してしまっていて高校生になっていた僕は、やり場のない寂しさを感じていた。

彼は亡くなったけれど、僕の中に彼の舌のざらつきと獣独特の匂い、そしてノミのトラウマを残してくれた。

 

 

さらに月日が経ち、大学生になった僕はついに彼と同い年になった。

そういうわけで、今この文章を書くに至った。

 

 

僕の見た3月11日

3月12日になってしまったけれど、あえて書こうと思う。

僕が中学3年生の3月11日、6時間目の英会話の授業中だったと思う。半地下になっている教室、玄関の目の前の教室でALTの授業を受けていた。

始めは、みんなただの地震だと思っていた。震度3くらいで自分に関係のないようなもの。だから授業しながら「あ、地震だ」と感じるくらいのよくあるあれだと思っていた。

でも、地震がなかなかおさまらなくて段々これやばいんじゃないかって気がしてきた。そして、強さも段々大きくなってくる。うわー、長いなーと思っていたら、ドカン、と。電気もパッと落ちてやばいやばいとみんな机の下にもぐった。そうこうしてるうちに揺れはどんどんどんどんでかくなって教室全体がゆすられてるみたいだった。揺られてるなか、クラスメイトの高橋くんが必死にブラウン管のテレビを抑えていた。コメディアンだった彼がテレビを抑えている様は印象的だった。
揺らされて響く騒音、棚の揺れる音とか建物自体が揺れによって出す音の中で、外に逃げることを考えた。混乱するALTと一緒にみんな走って外に出た。好きな子の手を引きながら走って出て行く同級生を、「こいつやりやがって」と思って見てたのを覚えている。

外に出て、揺れが収まると一番上の階にいる他クラスの同級生たちが窓からこっちを見てた。僕らはグラウンドに避難してる唯一のクラスだったのだ。「いやー、デカかったなぁ」といつもの調子で話していた。そしたら、先生たちがなんだかこれはおおごとだと気付き始めて、みんな外に避難してきた。非日常的な感じに少しワクワクしてしまっている自分が、今となってはとても浅ましく聞こえる。


結局その日僕が学校から帰れたのは20時を回ってからだった。学校の方針で、保護者が迎えにくるまで帰らせないということだったのだ。だからその日学校に泊まることになった生徒もたくさんいた。グラウンド待機の後はひたすら教室で待った。3月の夜の茨城は寒くて、みんなガタガタ震えながらこれからどうなるのか、漠然とした不安にかられていた。その漠然さを追い払うために、無理やり、気丈に怖い話とかをしていた。そして僕はなぜか好きな理科の資料集を読みながら話を聞いていた。その日は特別に携帯電話を使うことを許されたけれど、回線はめちゃめちゃに混み合っていて家族と連絡を取ることはできなかった。いざという時に一番頼りになるのは公衆電話だってこと、覚えておいてほしい。そして20時くらいに父が迎えにきた。

父親とは歩いて帰った。地面はでこぼこしてたし、信号灯も消えていたから、自転車で帰るのは危険だって言われたから。途中まで送ってくれて、彼は会社へ帰った。その日はやたら月が綺麗だったことを覚えている。
「あ、そっか。街中の電気が消えるとこんなに月が綺麗に見えるんだ」


家に帰っても、もちろん電気とガスはないので家中のロウソクと懐中電灯を寄せ集めて大切に使った。母が昼間にパン屋で買ってきてくれたパンをかじった。電子レンジで温めたかったなぁと思いながら固いパンをかじった。お風呂には入れなかったので、寒さに身を寄せあうように眠った。


ここまでが僕の見た3月11日だ。後から東北が大変なことになっていると聞いたけれど、僕の周りも大変だったと思う。テレビではACのCMばかり流れていた。コンビニには長い列ができていた。僕も自転車を漕いで食べ物を買いに行ったけど、意外と家には食べ物があって1人の中学3年生の危機感は空回りしていた。予定されてた卒業式はなくなったし、学校も部活も休みになった。やることがなくなっちゃったから、韓国人の友達と公園でずっとバスケしてた。一方で、隣の県では放射能が漏れ続けていた。その韓国人の友達は韓国に帰らなきゃいけなくなった。

地震地震で、事実として起こってしまうことは避けられない。これはこの国に生きる限り絶対なことだ。地震はこれからも何度も起こる。僕が言いたいのは、地震は起こってしまうことだから、きちんと備えるべきだってこと。人が死んでしまうこと以上に最悪なことってない。だからきちんと備えよう。起こったらどうするか頭で考えよう。なるべくリアルにシュミレーションしよう。
あと、僕は人が死ぬこと、それさえ避けられれば不便になっても我慢できると思う。だから電気が足りなくても文句は言わない。臆病者だから原発反対って声を大にして言えないけど、もっと根本のことを考えても良いんじゃないかな。何が一番大切なんだろう?

みんなで考えよう。

チャーリーとチョコレート工場のリスと僕

映画「チャーリーとチョコレート工場」を見たことはある?僕は映画は見た記憶がないのだけれど、本なら読んだことがある。

原作は「チョコレート工場の秘密」という短めの小説だ。僕の母はクリスマス・プレゼントには決まって本を贈ってくれた。当時はロックマンエグゼ5のカセットの方が欲しかったけれど本をもらうことも満更ではなかった。この「チョコレート工場の秘密」、僕が確か小4の時のクリスマス・プレゼントだった。

その本で印象的なシーンは、工場の一角でリスのような動物がナッツの中身がきちんと詰まっているかどうかを確認する場面だ。中身の入ってないナッツはどうなるのかというと、もちろん廃棄処分されてしまう。このリスは、ナッツを机の角みたいなところにコンコンとぶつけてその時の音で中身が空か詰まっているかを判断する。そこで偶然にも子供が1人その部屋に入ってしまうのだけれど、その子もナッツと同様頭をコンコンとぶつけて中身を確認される。内側から響くような軽い音がして、彼女は残念ながら頭の中が空っぽであるとの認定をされた。もちろんそのあとはゴミ箱にポイ、だ。
その時僕は「頭の中が空っぽな人になんてなりたくはない」と強く思ったのを覚えている。

さて、あれから10年ほど経ったいま、僕は頭が空っぽでない大人になれているだろうか。僕の中で、「頭が空っぽな大人」を「何も考えてない大人」と定義しているけど、何も考えてない人なんていないんだよなぁと思う。それじゃ、何が空っぽたらしめるのか。


それは自分を客観的に見れているか否かなのではないかと思う。聡明なチャーリー少年は、自分の状況と立場を把握していた。そして他人も客観的に見ることができていた(主人公だから当然だけどね)。自分を客観的に見れるということは、自分が大衆の中のどの位置にいるのかを把握できているということだ。自分の位置を把握できるということは、自分がどういうことをしたら、次のステップにあがれて、どういうことをしたら別の場所に行けるのか分かるということだ。これは当たり前のようですごいことだ。

そういう意味で言えば僕の頭の中は空っぽだ。想像力と記憶が欠如しているから、自分がどう他人の目に映っているのか知らない。むしろ開き直って居場所なんてどこでもいいとさえ思っている。しかし、このままではあかん、と子供の時の僕が涙ながらに訴えている。頭の詰まった大人になるんだ、と。

でも、頭の中が詰まってしまったら面白くない大人になってしまう気がするのだ。僕は面白く生きたい。くだらなくも気の置けない、素敵なおっちゃんになりたい。だから、頭の中身の量を調整するねじをつけようと思う。朝起きたら、キリキリキリと、今日はこのくらい阿呆になろうとねじを巻く。時には人に巻いてもらってもいい。

今日は自分の感覚的な話をしすぎてしまってなんのこっちゃ分からんと思いますが、分かってください。要は、くだらない心を忘れないようにしようということです。

文章群

僕が苦手なものは三つある。一つ目は不機嫌な人。二つ目は、グリーンピース。そして三つ目が、予定の調整だ。


ある日歩いていたら、上からイワシがたくさん降って来たことがある。折りたたみ傘を持っていたから、傘を逆さにさした。結果として、その日の夕飯は焼いたイワシとイワシの唐揚げとイワシと玉ねぎのマリネだった。


人は死ぬと少し軽くなるという話を聞いたことがあるだろうか?その軽くなった分は魂の重さだ、なんて言われることもあるけれど、僕に言わせればそれは違う。体重を立って測ることができなくなったからだ。


僕が昔から好きじゃないものがあった。冷凍のピラフと、シュウマイ。その理由は、少し考えれば分かると思う。


ある雑誌にこんなことが書いてあった。
「こんな文章読んだってなんの素養にもならない。犬も食わない。ただ、読んでくれてる人の数は分かっていて、その数字は決して多くないけれど、僕の支えになっている。ありがとう」


それは、グリーンピースが入っているからだ。


四季の中で一番好きなのは秋だ。なぜかというと、僕の誕生日は秋だし、モンブランが好物で、そして夕方に少しさみしい匂いがするからだ。さらに言えば、比較的気楽な服装でいられるから。


テレビではくだらない番組が垂れ流されている。大勢の人がどうでもいい話題について話し合う番組。いい大人たちが繰り広げる中身のすっからかんの議論を、いい大人たちが楽しそうに観ている様を想像するとぞっとした。


予定の調整を間違えると、不機嫌な人が生まれる。僕は予定の調整は苦手だけど、好きだ。だからこそ真に気をつけるべきなんだと思う。詰め込みすぎていいのは試験の過去問の解答とお菓子の詰め放題だけ。


「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。」



以上。

ろくでもない一日の(短い)愉快な夜に

今日、目が覚めると、外が薄暗かった。
ああ、やってしまった。
時計に目をやると午後5時すぎだった。

午後5時って"ごごごじ"と"ご"が3回も続くなぁとどうでもよいことを考えながら、今日やりたかったことを思い出してため息をついた。
今日は1人で街に出て、記事のための取材を済ませて、撮りためた写真を現像に出して、ついでに美味しいパンでも買って帰ってこようと思っていたのに。もうそんなこともできる時間じゃない。

とりあえずシャワーを浴びて、外に出ることにした。乗り馴れたライムグリーンのビアンキのピストバイクにまたがる。そろそろ掃除してあげないとな、と思いつつ漕ぎ出した。目的地は隣の駅のツタヤ。このあいだ借りた映画の延滞料金を払いにきたのだ。やれやれ。夕方に起床して、延滞料金を払って終える一日は、なんて残念なんだろう。残念な一日のロールモデルとして小学校の道徳の教科書にでも載せてくれた方がかえって清々しい。

このままツタヤを後にするのは余りにも味気なかったので、「ドリフターズ」の一巻と「横道世之介」のDVDを手に取り、レジに並んだ。この横道世之介は借りるのは3回目だ。160分もあってダヴィンチコードについで長い映画だけれど、僕はとても気に入っていてかれこれ見るのは5回目だ。特に、主人公の世之介が暑い日に部屋で麺をすすりながら週刊誌を読んでいるシーンが好きだ。画面に張り付いて何回も巻き戻した。

さて、そんなことはどうでもよくって、店の名前が印刷された薄くて白いビニール袋をぶら下げて近所の中華料理屋に行った。ここの角煮飯が美味しい。炒飯はそこまで美味しくない。久しぶりに来たら値上げされていて、少し悲しくなったけれどやはり角煮飯を食べるしかない。僕はこの店の奴隷になりさがってしまったのかもしれないな。味はやはり美味しかった。左手でスプーンを、右手で先ほど買ったコミックをめくっていると、それはすごく器用なチンパンジーの芸に思えて来て僕はコミックを鞄にしまった。もうちょっとゆっくりしていたかったけれど、店のおばちゃんが早く帰るよう催促して来たので仕方なく自動ドアをくぐり、店を出た。

そのあと、家に帰った。時計は21時すぎを指していた。とりあえず、最近書くようにしている日記を書き始めた。でも、一旦書き始めるとあまりにも字数が多くなってしまって面倒な気持ちが上回って来た。音楽が聴きたくなって、ceroの「WORLD RECORD」を頭からかけた。bluetoothのスピーカーから流れて来たワールドレコードのはじめの痰を吐く音を聴いて、僕はいい気分になった。こうでなくっちゃ。

それからというもの、ゆっくりゆっくりと溜まっていた日記を溶かすように消化し(この時点でもはや日記ではない)、今に至る。
現在時計は午前3時前。全然眠くない。いつ寝ようかなぁ、寝たくないなぁ、そんな悩みをかかえている。さっき吸った苦手なタバコのせいで、声が少し枯れていて、スピーカーからはミツメのゆったりとした音楽が流れている。

さて、こんな夜は僕はいつ寝たらいいんだろう?

押し殺していた「理解されたい」

昔から、図工の成績が悪かったのを覚えている。
5なんて取れたことなくて、良くて3とか。

だから、苦手意識がついた。僕は図工のセンスもないし、まったく評価されないんだ。


そうやって、何か物事に苦手意識を持ってしまって、人から評価されることを恐れるようになると、いつしか「ふん、他人の評価なんて知らないぜ」となってしまう傾向がある。それは経験則から学んだ。


まあ、なんやかんやで僕は人並み、いやそれ以上に絵を描いたり写真を撮ったり、ものを作ったりすることを愛するようになった。
時々無性にスケッチしたくなって絵を描くこともあるし、ポスターのデザインもしたくなるし、首に安いデジカメをぶら下げて写真を撮りに散歩に出ることもある。創作することが好きなんだと後から気づいた。

でもそれは、趣味であり、あくまで自己満足の範疇にとどまるものであった。そう、他人の評価なんて必要ない。自分のコップになみなみと水を注げれば十分なのである。


そんな訳で、僕の制作物はちょっとズレてるものが多くて、そのせいできっと図工の成績も悪かったのだと、今になればこそ分かった。
理解されないのだ、自分のコンセプトが。

だからこそ反発していたのだけれど、たまたま自分に正直になれたときがあって、その時の僕の心はこう言っていたのだ。
「理解されたい。全てを分かってもらえて、褒めて欲しい。受け入れてほしい」

それで、はっとした。
本心では理解されたいのだ。されたかったんだ。

割とビックリして鏡を見たのだけれど、そこにはいつもと同じ自分がいてちょっと安心した。


だから、今日言いたいことはこうだ。結局、人間は理解されたい生き物だ。
だから、それに正直になればいいじゃん。



ということで、今日はお開き。チャンチャン。

深く穴を掘ることの困難さ

深く穴を掘ることの困難さ

 

穴を掘ったことはあるだろうか。

僕は、ある。それは小学六年生のとき。

 

友達と秘密基地を作っていた僕たちは、突然、穴を掘ろうぜということになった。

 

だからスコップとか持ってきて頑張って掘った。

 

でも、穴って全然深くならないのだ。

まっすぐ下には掘れなくなるからだ。

 

結局悪戦苦闘して、自分たちの肩くらいまで掘ったところで秘密基地作りは解散してしまったのだけれど

 

穴を掘ることの難しさだけが僕の心にぽっかりと口を開けている。

 

考えることって穴を掘ることに似ていると思うのは間違いだろうか

 

僕は穴を深く掘ることが苦手だ。

いつも浅い穴ばかりぽこぽこ掘っている。しかも穴を掘る時は書いたり声に出したりしてしまう。これはずるだよね。

 

だからなるべく深く掘れるように、訓練をしようと思ったんだ。

 

なんだっていい、あることについてひたすらじっとりとして離れてはいけない。

しかも手も口も動かしてはいけないのだ。

 

すると、普段軽く回っていた頭の中身が、歪になって回れないのだ。

 

くるしい、くるしいと悲鳴をあげる。

油をさしてよ、と悲鳴をあげる。

 

苦しむのは鍛えてる証拠だと思って、少し嫌な笑いを浮かべながらそれを続けてみた。

 

 

深い穴を掘るのは困難なことだ。