押し殺していた「理解されたい」

昔から、図工の成績が悪かったのを覚えている。
5なんて取れたことなくて、良くて3とか。

だから、苦手意識がついた。僕は図工のセンスもないし、まったく評価されないんだ。


そうやって、何か物事に苦手意識を持ってしまって、人から評価されることを恐れるようになると、いつしか「ふん、他人の評価なんて知らないぜ」となってしまう傾向がある。それは経験則から学んだ。


まあ、なんやかんやで僕は人並み、いやそれ以上に絵を描いたり写真を撮ったり、ものを作ったりすることを愛するようになった。
時々無性にスケッチしたくなって絵を描くこともあるし、ポスターのデザインもしたくなるし、首に安いデジカメをぶら下げて写真を撮りに散歩に出ることもある。創作することが好きなんだと後から気づいた。

でもそれは、趣味であり、あくまで自己満足の範疇にとどまるものであった。そう、他人の評価なんて必要ない。自分のコップになみなみと水を注げれば十分なのである。


そんな訳で、僕の制作物はちょっとズレてるものが多くて、そのせいできっと図工の成績も悪かったのだと、今になればこそ分かった。
理解されないのだ、自分のコンセプトが。

だからこそ反発していたのだけれど、たまたま自分に正直になれたときがあって、その時の僕の心はこう言っていたのだ。
「理解されたい。全てを分かってもらえて、褒めて欲しい。受け入れてほしい」

それで、はっとした。
本心では理解されたいのだ。されたかったんだ。

割とビックリして鏡を見たのだけれど、そこにはいつもと同じ自分がいてちょっと安心した。


だから、今日言いたいことはこうだ。結局、人間は理解されたい生き物だ。
だから、それに正直になればいいじゃん。



ということで、今日はお開き。チャンチャン。

深く穴を掘ることの困難さ

深く穴を掘ることの困難さ

 

穴を掘ったことはあるだろうか。

僕は、ある。それは小学六年生のとき。

 

友達と秘密基地を作っていた僕たちは、突然、穴を掘ろうぜということになった。

 

だからスコップとか持ってきて頑張って掘った。

 

でも、穴って全然深くならないのだ。

まっすぐ下には掘れなくなるからだ。

 

結局悪戦苦闘して、自分たちの肩くらいまで掘ったところで秘密基地作りは解散してしまったのだけれど

 

穴を掘ることの難しさだけが僕の心にぽっかりと口を開けている。

 

考えることって穴を掘ることに似ていると思うのは間違いだろうか

 

僕は穴を深く掘ることが苦手だ。

いつも浅い穴ばかりぽこぽこ掘っている。しかも穴を掘る時は書いたり声に出したりしてしまう。これはずるだよね。

 

だからなるべく深く掘れるように、訓練をしようと思ったんだ。

 

なんだっていい、あることについてひたすらじっとりとして離れてはいけない。

しかも手も口も動かしてはいけないのだ。

 

すると、普段軽く回っていた頭の中身が、歪になって回れないのだ。

 

くるしい、くるしいと悲鳴をあげる。

油をさしてよ、と悲鳴をあげる。

 

苦しむのは鍛えてる証拠だと思って、少し嫌な笑いを浮かべながらそれを続けてみた。

 

 

深い穴を掘るのは困難なことだ。

 

 

 

自転車

自転車

 

僕と自転車の歴史について記そう。

 

最初に自転車に乗ったのは、母の自転車のチャイルドシートだった。

プリンアラモードと一緒に自転車ごと横転したのは未だに覚えているんだから恐ろしい。

 

自転車に乗れるようになったのは、確か5歳か6歳くらいのとき。

近所の砂利道で練習させられて転びまくった記憶がある。すごく泣いてたな。

 

その後、買ってもらった水色の自転車。

小学3年くらいの時にギアが付いてなくて友達に馬鹿にされたものだ。

でもそんなこと言われたってしょうがないじゃないか。

 

悔しくてねだって、かっこいい自転車を買ってもらえました。スピードメーター付きで、時速30kmまで測ることができたのを覚えている。

潰れたジャスコの近くで乗ったのが懐かしい。

 

中学に上がって、ノーパンクのママチャリを買ってもらう。ノーパンクだけど、とても重くて、世の中の理不尽さを呪った。

何かを手に入れれば何かを失わなければいけないのだ。

 

そのまま高校まで乗り、その後韓国へ引っ越した友達のママチャリをもらった。

その韓国人の友人が乗っていたから「ストロングコリアン号」と馬鹿にされた自転車だった。理不尽は尽きない。

 

でもその自転車は有能で、片道40km漕いで高校野球の応援に行ったこともあったり、思い出の多い自転車だった。

元持ち主はその自転車でチキンレースをして、川に落ちたこともあったっけ。

 

そして大学へ。

入学祝いとしてspecializedというメーカーのクロスバイクを買ってもらった。

すごく嬉しいし、乗り心地にも感動した。スポーツ車はすごいのだ。

自転車部の新歓合宿とかも行ったけれど、結局そっちは入らず。1人で時々岐阜とかに行ったりし、普段乗りにも使っていたのだ。

しかし、今年の2月、バイト中に盗まれてしまう。僕はとても悲しくなってしまった。怒りは不思議と湧いてこず。

自分の管理不足がひどかったから、自転車が自由意思で散歩しに行ってしまったんだな、と自制しつつ、これからはもっときっちり管理しなければ、と珍しく強く決めた。

 

それからはドン・キホーテで買った一万円のママチャリに乗り、苦節を経て、9月に新たな自転車を手に入れたのだ。

 

それはピストバイク。ギア無しである。

またしても友達に馬鹿にされてしまう。

まあ、今回はそんな心配などなく、かの有名なbianchiから出ているpistaというモデルなので、クラシカルさも残しつつ結構かっこいい。

 

フレームもクロモリだし、とてもいい感じなので、この子のためにきちんとメンテナンスすべきである。

がんばります。

 

 

今日なんの話やねん、ほんまに。

 

 

石を集めた

石を集めた

 

子供の頃、石を集めていた。

 

別に特に珍しい石じゃないのだけれど、僕にとってそれらはとても大切できらきらしてみえていた。

 

近所で拾った大きな石を拾っては割り、まだ見ぬ大発見をその内に求めた。

 

一見無骨な石でも内側は意外ときらきらしているもんだよ

 

そんな石たちは僕の勉強机の引き出しに溜まっていき、重みを増していった。

 

 

 

何がきっかけかは忘れちゃったけど、中学生のときに集めた石を全部捨ててしまった。

 

多分僕にとって、宝石じゃない、自分だけの石は、価値を持たなくなっちゃったんだろう。

 

 

 

それから、しばらく時間が経って、最近になって、僕は自分の好みの石を取り戻したいと思った。

 

 

失ったものを再び手に入れるのは割に難しいらしい。

 

そういうわけで僕はいま、この文章を書いたりしているのだ。

 

 

 

 

そうぞうとちしき

そうぞうとちしき

 

知識はなんで大事なのかなと思ったんだけど、それは想像しなくていいからだと、本を読んでるときに気づいた

 

全部覚えられればいいのになあ

全部考えられればいいのになあ

 

僕は不器用だから中途半端に覚えて中途半端に考える。

まったくこまったものだ。

 

仕方がないので考えながら本を読む。本を読みながら考える。

どちらも同じことだ。

 

そうやって少しでもましになるように頭の半分にたくさんつめこんで、もう半分をこねくり回すしか、僕には、できない

 

 

2日目

2日目

 

2日目はアラームで7時半に起きた。今日最大のイベント、乗車は11時過ぎのため、そこまで早起きしなくてもよかったからだ。

顔を洗い、トイレに行ってから朝食へ。

朝食はビュッフェで、野菜を蒸したのとかソーセージ、サラミ、チーズ、ポテト、シリアルなどなどを食べた。

 

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朝食の一皿目。ポテト結構美味しかった。

 

1番ビスケットが美味しかったなぁ。あと、シリアルにはケフィアみたいなのをかけたけど、意外と美味しかった。

最後にコーヒーを飲んで、ごちそうさまでした。

 

そのあと部屋に帰って出発の準備をした。

 

昨日洗って干したTシャツは全然乾いていなかったので、とりあえず袋に詰めた。靴下も然り。ケータイの充電もオッケー。

 

今日の目標は、お金を両替して、食べ物を買い、そして列車に乗り込むことだ。がんばろう。

 

電車の2時間前くらいにチェックアウト、ホテルをあとにした。スタッフも優しくて、本当にいいホテルであった。ドライヤーはなかったけどね。

 

そして歩いて市街へ向かった。市街へは徒歩でも20分もあれば着く。

途中歩きながら写真を撮っていった。

 

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昨日の夜は割と恐ろしく見えた町が、朝になるととても穏やかだ。

港町なだけあり、とても景色がよく、気持ちいい海風を浴びながら停泊してる船を眺めることができた。

もうすぐ僕は離れるけど、また来たいなぁ。

 

そして、とりあえず自分の乗る電車を確かめることにした。

ウラジオストク駅へ向かう。

 

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ウラジオストク鉄道駅。西洋風で立派な建物。

 

ウラジオストク駅の入り口にはボディチェックがあったが、僕は慣れていないので、訳も分からずゲートを通ってしまう。やり直し。

次はポッケの中のものを入れっぱなしにして入ってしまう。やり直し。

次はベルトをそのままに入ってしまう。やり直し。

教えてもらって、ベルトの部分に手を当てて入った。クリアー。

少し自分の無知を恥じ、お礼を言ってその場を通り過ぎた。

 

 

入ると中は広く、チケット売り場や食べ物の売店、お土産屋、カフェなど、意外に近代的で栄えた駅だという印象を受ける。

 

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また、席がいくつもあり、正面の壁には電光掲示板が固定されていた。

ディスプレイは2つあり、右のほうを見ていたのだけれど、僕はロシア語がそんなにわからない。でも、少なくともモスクワ行きじゃなさそうだ。

 

しばらくして左のを見たら、ようやくわかった。しかし、何番ホームかは、まだ書いてない。仕方ないから直前に見にこようっと。

 

さて、次は両替だ。

駅の近く、出て左のほうに銀行があったから助かった。銀行はванкだ。

入るととても綺麗な店内だった。

受付の女性に両替できるか尋ねたら(exchange,OK?)、連れて行ってくれた。どうするのが1番早いのか分かっているのだ。そこで交換してもらう。成田空港よりは全然いいレートだった。だいたい1ルーブル=1.6円。

でも次回からはドルに替えて持ってこよう。ロシアで日本円はちと風当たりが強すぎる。

 

そのあと、駅前のスーパーへ。スーパーは入り口と出口が別れていて、一方通行だ。はいると、お土産からパンから惣菜まで、なんでも売っていた。

特にショーケースの中にソーセージや、チーズ、魚などが並んでいたのは見ものだった。ロシアって発展途上のイメージあったからとっても意外だった。

 

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ロシア人からすると"BUSHIDO"はかっこいいのかもしれない。

 

そこで適当に黒パンや普通のパンや、水、オレンジジュース、カップ麺を買った。たくさん買ったけど、千円くらいでとても助かった。

 

そうこうしているうちに時間が近づいてきたので、駅に戻った。

今回はスタイリッシュにゲートをパス。

そしてスタイリッシュに何番ホームか確認できた。

スタイリッシュな1番ホームだ。

 

そして、いまウラジオストクで一番スタイリッシュな男は誰だ?

答えは、僕だ。

 ...冗談は置いておこう。

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スタイリッシュなディスプレイ。いや、普通のディスプレイ。

 

ちなみにウラジオストク駅はどこからでもホームに入れて、電車の入り口でスタッフの人がチケットをチェックしてくれる。自動改札なんて必要ない世界なのだ。

 

僕はホームへ降りた。ホームには機関車が置いてあったが、なんで置いてあるのかはよくわからなかった。少なくともトーマスではなかったな。

 

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僕が乗った13号車。ここから旅が始まる。

 

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ホームには子供と思しき人たちがたくさんいて、騒いでいたので少し嫌だなと思う反面、ウォッカとかを飲まされずに済みそうなのでホッとした。この予想はいい意味で裏切られることになった。

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子供たち。左にいるのは車掌さんで、入り口でチケットのバーコードをピッとしてくれる。 

 

そして乗車。僕は子供たちが乗るのを待ってから乗車した。

13号車。乗ってみると、車内は結構広くて清潔。

僕の乗った三等車は、線路に垂直に、二段ベッドが向き合って2つあり、真ん中にテーブルがある。そのペアの横には、線路に水平に二段ベッドが1つあり、1ブロックで全部で6人が寝れることになる。

また、収納もたくさんあり、下の席の下、上の席の上、壁にはフックとネット。

 

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みんな寝るときは布団を敷いて寝る。日本っぽい。

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窓からは風景が。時々、絶景。

普段はみんな下の席に降りてお喋りしたりして、寝るときは布団があるので、それを敷いて寝る。寝心地は全然悪くない。

むしろ振動が心地いいのだ。

ただ僕は身長が182cmあるので、足がはみ出る。少し体を曲げて寝なきゃいけなかった。(それなりにきつい)

 

さて、僕が席を見つけると、そこは例の少年少女たちのグループのちょうど端っこだった。

初めの方は僕はじっとしていたのだが、お昼のときに上の段の男の子と一緒にご飯を食べるようになってから、話すようになった。

彼の名前はジマー。多分略称だと思うけど。

ジマーは12歳で、スマホを持っている。

いつもモバイルバッテリーで充電してて、ノーインターネット!と言って電波が悪いことを嘆いていた。ロシアでも田舎は電波悪いらしい。

 

最初、なんで彼がウラジオストクにいたのか聞いてみたんだけれど、正直よくわからなかった。グーグルで写真を見せてくれたりしたのだけれど。

 

あとで別の男の子に聞いてみたところ、彼らはокеан(オーシャン)という団体に属していて、その活動の一環としてキャンプをしつつ、消防士の活動を模した競技や、ダンス、ギターなど一芸を競うコンテストがあったのだという。世の中にはいろいろあるもんだ。

2位だったんだって、すごいな。

その帰りにこの電車に乗っているらしいのだ。

 

それを教えてくれた子は17歳で、正直僕なんかより頼もしく見えた。

彼について語ろうと思う。名前は失念してしまった。ごめん。

まず、彼はモスクワが嫌いらしい。都会みたいな感じ、高いビルなどが嫌なのだという。彼らの出身も田舎の方みたいだし、なんとなくわかる気がする。一方、サンクトペテルブルクは好きみたい。伝統的な風景が広がっていて綺麗だという。

 

彼は英語が達者だった、発音の面ではもちろん彼の方が上だし、その他の面でも僕と同等かそれ以上である。高校生でこのレベルだという。

しかもそれだけではなく、ロシアの古典小説を愛し(僕が知っているのはドストエフスキートルストイだけだ)、経済や社会的な問題について大いに関心がある。

こんな17歳が日本にいるだろうか。

日本では高校生はもちろん、大学生、大人ですら若者は社会的な問題に対して関心が薄い。当然、僕も然りだ。

正直に言うと、話しているときに自分の知識や意見のなさに呆れてしまった。他国の住人はこんなに意欲的なのに、だ。

特に彼からは、プーチンや、トランプ、オバマの政策について、そして、人種差別や黒人についてどう思うか聞かれた。どう思うもなにもなかったのでほどほど一般的な意見しか言えなくて悔しかった。

 

あとは、彼らを取り巻く問題、例えばウクライナの自治に関する紛争などについても聞かれた。恥ずかしながら、その問題について知らなかった。

 

こんなんではダメだ。

僕自身もダメだし、日本だと若いうちから(特に高校生まで)政治とかに興味を示すことは「カッコ悪い」ことになる。

それが尾を引いて、今、大学生になっても、政治や経済の話をできる人は限られてしまう。多少はマシになったけど。

この状況を作り出してしまっているのはなんだろう。

教育システム、日本人的な集団の性質、テレビ、政治体制...

きっと何かのせいにしていたら時間がもったいないから、自分が変わって、行動するしかないのだと思う。

 

自分が、行動する。

「自分」「行動」が最近の自分の中のキーワードだ。

 

さて、話が逸れてきてしまったので元に戻したいと思う。

 

他に彼と話したことをいくつか語ろうかな。

・ロシア人と人種差別について。ロシア人は人種差別はしないのだということ。本当かは分からないが、彼はそうなのだという。まともな考え方のできる若者でよかった。

・ロシアの経済について。現状はほぼ平坦らしい。少し前まで上がっていたが、がくんと落ちたのだ。あとで調べたら、原油に関する政策で失速したらしい。

 社会の授業でBRICsを習った僕だったからびっくりした。

・ロシアの女の子はとても口やかましいから嫌だ。日本の女の子の方がおとなしくていい感じだ。

 

ここまで語れるなんて、彼は本当に真面目で主体的で優秀な学生なんだろう。

 

 

でも全員が全員ってわけではなかった。(少し安心したのは内緒だ。)

政治的な話をしたのは彼だけだし、他のことはこいつが馬鹿だ、とかホモだ、とかそんな話ばっかりだ。

あと、1人アニメが好きな子がいて、話した。彼は英語ができなかったけど、ナルトもワンピースも見ていたから螺旋丸も知っていた。

だから日本人の多くは螺旋丸ができるんだと、ホラを吹いておいた。うん、まあ、夢は大事だ。

 

彼らは僕にオーシャンのラバーブスレットをくれた。

すごい嬉しかった。

 

彼らと話しているときに彼らの監督も来た。

監督は、英語は喋れないけど、周りの人が通訳してくれて、意思疎通できた。トヨタはすごいよ、と褒めてくれた。とにかく快適で、安全らしい。

初めて日本のことを誇らしく思った。

 

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 ロシアには日本車がたくさん。少し高級車だという。

 

しばらく彼らと話したあと、彼らはどっかに行ってしまって、しばらくすると今度はもっと若い層が来た。

だいたい12,13歳くらいの年齢の子たちだ。

ジマーも一緒にいて、ジマーと4人の女の子って感じ。

ロシアの女の子たちは強い。めちゃくちゃに喋りまくるし変顔をすっごいしてくる。

でもすっごい美人だ。

  

そのジマーと4人の女の子は、名前を教えてくれたあと、僕にロシア語を教えてくれた。

アルファベットから、顔のパーツから、あいさつ、感情の表現まで、いろんなことを教えてくれた。

アルファベットは勉強したので分かったんだけど、それ以外は結構忘れてしまった。

オレンジ色はオレンジリー。ピンクはローザリー。

難しいはスロージュナ。ありがとうが、スパシーバ。

青色とホモのことを、ガルボイと言うらしい。

 

さよならはパカー。

 

彼女たちはとてもいい教師だった。僕のために一緒に悩んでくれる。

しかも無邪気で笑わせてくるし、僕のことを Funny Japaneseなんて呼んでくる。

俺から言わせたらみんなの方がFunnyだ。

 

そうこうしてたら夜になってしまい、彼女たちは寝る時間だ。

僕は残ったジマーと話してた。

彼は写真を見せてくれたり、彼の好きなバンドの曲を一緒に聴いたりしてたんだけど、さすがに僕の方が眠くなってしまって、一回眠った。

ごめんよ、ジマー。でも君は昼間にたくさん寝ていたじゃないか。

 

そのあと、ハバロフスクという駅で30分くらいの長い休憩を取るらしく、隣の女の人に、外にでるのよーって起こされた。

なので僕も外に出てみた。そしたらすっごい寒い。あまりの寒さにテンション上がる。

それで、どっかいってみようと思って橋に登ろうとしたら、17歳の彼が危ないから、と止めてくれた。おとなしくじっとしていました。

そして駅の写真を撮ってから寒いので中に入った。

 

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入ってから気付いたのだけれど、隣のおばさんは子供たちの関係者じゃないらしい。

え、いや、だって普通に喋ってたやん。

ロシアでは知らない人同士もすぐおしゃべりする。また僕は一つ知識を得た。

 

いなくなった隣のおばさんも僕に食べ物くれたので、いい人でした。

基本、食べ物くれる人はいい人だと考える安い価値観。

 

ということで、おばちゃんはいなくなって、代わりに若いお姉ちゃんが来た

 

そのあと、本を読んでいたんだけど、眠くなったから寝てしまった。

これで2日目はおしまい。

1日目

1日目

 

15:40からのフライト。成田空港までなぜか、母と妹が見送りに来てくれたので、お昼ご飯をご馳走になった。


出国手続きは意外とあっさりしており、すぐ済ませた。

僕の出国ゲートは98番。一番最後から2番目だった。この時点で少し不安を煽られる。

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まあ、成田空港の端っこ見られたしいいや、と思う。

 

そのあと日本円をルーブルにしてもらう。1ルーブル=2.02円であった。正直レートが悪いなと思ったけど、仕方がないので我慢して交換してもらった。

 

少し待機して乗り込んだ。機体はライムグリーンでさわやか、いい感じである。

 

中に乗り込むと、席は多くなく、全部で100席もないように感じた。

しかもすごい哀愁のある音楽が流れ、変わった匂いがする。

どことなく社会主義的な音。発展途上的香り。

ひええ、なんだここ。

まあ、座ろう。僕はガイドブックと小説を取り出して席に着いた。

 

そして離陸。離陸自体はふつうに行った。やるやないか。

 

周りを見渡すと、おじさんのツアー団体に囲まれていた。飛行機の中でお酒を飲んでくだらない話をしている。ウイスキーを持ってきたんだって騒いでる。いい人生ですねぇ。

 

ところで、ぼくは1人だったからゆっくり本を読んでいた。

 

安定すると、簡単な機内食が配られた。

だけど、ぼくのところには飲み物しか来ない。コーヒーイズヒア。

しょうがないので声をかけてみた。サンドイッチ・プリーズ。

 

ちなみに、CAは日本語は通じない。英語も怪しいレベルだ。なので、まあ適当にやり過ごしてほしい。コーヒーは通じたみたいだ。

 

あと、ロシア人は仏頂面してるけれど、中身はとても優しい。人懐こい。親切。

だから冷たく感じてもそれは見た目だけなんだと信じてください。

 

機内食は、食パンのサンドイッチ。中にはキュウリ、茹でたチキン、マヨネーズが入っていた。パンがぼそぼそして硬くて食べずらかった。

まあ、こんなもんだよね。

隣のおじさんたちは、「酒に合うじゃねえか」といいつつ、大きめの瓶のシーバスリーガルを持っていた。

機内への持ち込みオーケーなんだ。

 

結局、3時間弱くらいで、ウラジオストク空港に到着。旅程表の時間と違かったのだが、これは現地時間だからだった。

 

なんと時差の関係で、ウラジオストクは日本より1時間早いのだ。日本より時刻の早い国なんてそうそう来れるものではないので、ぼくは少し嬉しくなった。

 

入国手続きは、とにかく待たされた。

まあ、いいんだけどね。受付のおばちゃん一生懸命だったし。

 

それが済むと、空港内に出る。

ウラジオストク市街からは距離があったので、タクシーを手配してもらった。1500ルーブル。空港から50キロ弱あるので、そんなに高くないかな、と思う。ほんとは電車に乗りたかったけどね。

 

外に出た。

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他のタクシー運転手に指定されたタクシーの場所を聞いたけど馬鹿にされた。

世知辛い世の中である。でも無事見つけることができた。

 

タクシーはぼったくられるかと思ったけど、本当に空港で支払っただけしか取られなかった。チップも要らなかったし。

ええやん。ありがとう。スパシーバ。

 

ホテルに来た。ホテルは巨大な軍艦が廃墟になったみたいな見た目だった。そして、すごく暗い。

 

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だけど、入り口にいた人が親切で、7階の受付を教えてくれた。

英語だめだったので身振り手振りだったけど、エレベーターの7を押してくれたとき、はさまっちゃって、少し笑いそうになった。

 

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でもいい人でした。

 

チェックインのときは出国カードとパスポートを渡す。出国カードは空港で入国審査をするときにもらえるのだ。これをなくすと大変なことになる。

 

受付の女の人は綺麗でした。ロシア人、みんな綺麗だ。

グッドカントリー。グッドピーポー。

 

チェックインもスムースに済んで、部屋に入る。部屋はとても綺麗だ。すごい。

しかし、なぜかベッドが2個ある。なんでやねん。でも結構広い部屋だったので嬉しかった。

音が丸聞こえなので、そとで大声で喋ってる人の声が響いてとても怖かった。部屋に入ってくるなよ、頼むから。

 

Wi-Fiあったのはとてもよかったね。意外とロシアのホテルはWi-Fiがあるところがほとんどみたいだ。しばらく使えなくなるので、人に連絡できてよかった。

 

少し落ち着いてから外に散歩に出た。

9月の夜のウラジオストクは、秋の風が吹いていて気持ちいい。

意外とヤバそうな人はいなくて、男ならそれなりに安全だ。

 

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少し歩いて、ウラジオストク駅の前で、BIG FATという、ロール状のケバブを買う。140ルーブル。つまり、280円くらいだ。

めちゃめちゃでかくて美味しかったな。後半飽きてきたけど。

 

あと、コンビニで水とエムアンドエムズのチョコを買った。77ルーブル

 

道に迷っていたらビーチで音楽を流してクラブみたいにしてた。うひゃあ。

ウラジオストクのイケイケな人はここで踊り明かすのだろう。

 

ぼくは俯いたまま通り過ぎた。

 

無事ホテルに帰ってきた。

 

ベランダへの扉を開けようとしたらなぜか下のみ固定されて上だけ開くシステムだった。え、出られへんやん。

 

そして、シャワーを浴びた。お湯も出たし、そんなに悪くなかったかな。

 

そして、いろいろ考えて、眠りにつきました。