じょんするめ

いろんな記事を気まぐれに書きます。イイムラヒロキより。

比較的最近のもんもん

あー、遊びたい。

冬が訪れてからというもの、僕は全然遊んでいない。なんかテンション上がらなくって遊びにいこうっていう誘いもしていなかったし、でも逆にそうすると友達に遊びに誘われてないという事実が浮き彫りになってそれがまた僕を悲しくさせた。
ツイッターとかインスタグラムで友達が友達と遊んでいる写真がタイムラインに流れる。バイト終わりとかにそれを見る。死にたくなる。だから夜更かしして次の日また起きれない。
ああ、くそが。


いいんだ、僕はもう孤独に生き、孤独に死んでくんだ。そうなんども思った。だれも構ってくれないから本を読み、音楽を聴き、映画を見た。ふとして悲しい。だけど明るく生きたいから、冬というものは悪いイメージを人に植え付けるものだと信じてなんとか12月や1月の夜をやり過ごしてきたわけだ。


さて、まあそれも含めて僕はいつも好きなように生きているわけだが、最近は遊びというより学びの側面が強いことをしている。就活イベントに行ったり、インターンで東京に行ったり、友達と勉強会を開いたりしている。それも好きなことだ。でも、悶々としてきたのだ。

あー、遊びたい。バカみたいにお酒を飲みたい。でも吐くのは嫌だからアホみたいに笑った後に眠り込みたい。深夜にドライブしたい。下道で遊園地に行きたい。人と話して死ぬほど笑いたい。カラオケでオールしたい。クラブに行ったあとに知らない女の子と知らない天井を見て朝を迎えたい。煙草を飽きるまで吸いたい。


そんなぐちゃぐちゃとした願望を考える。
「でも、疲れるよなぁ」
ぽつりと呟いて、身長を測って身の丈にあった喜びを見出すのが自然だと思った。
「まあ、友達と飲めたらいいかなぁ。」

ナンバーガールを聴きながしながら僕はそういう考えにふけった。今日のバイトが終わっても、実験レポートが僕を待っている。
けれど、その先に待っているものもあるはずだ。

左利きはみんなが思ってる感じじゃない!

こんなにちは。

突然ですが、僕は左利きです。

いや、まあ厳密にクロスドミナンスなんだけどその話はまた今度するとして、今日は左利きの話をしますよ〜。


左利きってなんかこう、ステレオタイプに当てはめられがちだと思うんですよ。
例えば僕が左利きだってバレると、大抵の人は、「え、天才じゃん!」か「あ、不便だね」のどちらかしか言われません。

ホワイ右利きピーポー!
何で「天才」か「不便」の二択!
じゃあ右利きはみんな「凡人」で「便(不便から不を取った)」なのかな!??


僕はあえてこの世論に反旗を翻したい。
そう、「左利きは頭良くないし全然快適だぞ論」である!


【左利きのココが頭悪い①】鉛筆でノートを取ると手が真っ黒になる
はい、そうなんです。基本的に字って左から右に書くじゃないですか。そうすると書いた後の字の上に左手が乗っかるんですよね。そうすると左手の右側面が真っ黒になります。どんな人でもなるので大の大人の左手が真っ黒だと思うとすごい頭悪いですよね。もしおばあちゃんの左手が真っ黒だったら消してあげると喜ばれます。


【左利きのココが頭悪い②】スープバーで突然不器用さを発揮する
スープバー。自分でスープ汲まなあかんじゃないですか。その時のおたまの先って、右で持つと手前に落ちるようになってるんですね。だから逆に左で持つと奥に落ちちゃうんですよ。だから多くの左利きはきっと、カップを奥に持って来てそろそろ〜っと注いでるはずです。もし嫌いな奴が左利きだったらその瞬間は無防備です。一発ぶん殴りましょう。


【左利きのココが頭悪い③】リングノートが実は痛い
多分みんな意識してないけど、リングノートのリングって左に付いてるんですよ。痛いんですよね。これはガチで。でもみんな恥ずかしいから痛いって言わないです。でも本当は右にリング付いてくれないかな〜ってずっと思ってます。そういうとこかわいい。いや、かわいくないか。


はい、ここまで3つ書きましたが、実は頭悪いところじゃなくて左利きの不便なところを羅列しただけでした。なんやねん。


【左利きのココが快適だ①】話のネタになる
はい、ばれた瞬間から10分くらいは尺持ちますし、それに初対面の人と会ってもその話できるんで、ちょっと快適になります。なぜか右利きの人は左利き好きなので。なんででしょうねぇ?


【左利きのココが快適だ②】接客してて相手に記入していただく時に楽
こう、バイト中にお客様に記入いただく欄、あるじゃないですか。その時に、左利きって向かい合った人の右手が前にあるんですよね。だから、そのままスッ、とボールペンを渡せばいいという楽ポイントがありますね。これはちょっと優越感あるけど地味!



はい、2つしか思いつけませんでした。あとはチヤホヤされるとかそのくらいです。全然良いことないやん。


というわけで、実はそんなに左利きで良いことなんてないし、しかも天才でもないからデメリットしかないぞ左利きは、という話でした!

みんな現世で悟りを開けなくて輪廻転成してしまったら左利きにならないように気をつけてくださいね!!

それでは!

コミュ障は2パターン

僕が考えるに、コミュ障は2パターンいる。紹介しようではないか。

それはとてもシンプルで、
①話せるけど聞けない
②聞けるけど話せない

この2つのどちらか、もしくは両方兼ね備えている猛者もいると思う。


①話せるけど聞けない は自分の話ならいっくらでも延々と続けられるが、それに対する他人の意見に聞く耳を持たなかったり反発する、あるいは他人が意見を持っているということに気づけなかったりするのだ。僕はこのタイプの方は苦手だ。
まあ、極端な場合はストレスを感じるけれども、大半のこのタイプの人と話しても時々違和感を感じるくらいで、特に問題はない。

②聞けるけど話せない は国立大理系にありがちで、先生や友達の話を聞いて理解する能力には優れているが、それに対する応答が弱いパターンだ。アッ…アッ…とか言っちゃったり、どもっちゃうタイプは割とこっちかなと思う。僕はこのタイプの人と接しててもそんなに気にならない。まったく喋らないのは嫌だけどね。

という訳で、今2パターンに分けたけれども世の中の多くの人はどちらにも当てはまらない、いわゆる"普通"のコミュニケーション能力なのではないかなとおもう。二項対立というものは少数の極端な例だけを見ているのであって大部分はその二項の間に収まっていることがほとんどだ。

それに体調によっても大分変わると思う。僕は精神的に凹んでる時や寝不足の時は②になりがちで、お酒を飲むと時々①になる。いま自分どっちかになっちゃってないかな、と自分を振り返るのに是非とも使って見てほしい。

最後に、なぜ僕が今回このタイプ分けをしたかということだ。それはコミュニケーションの語源が気になっていたことに由来する。
communicationの由来は、ラテン語のcommunicatio(コムニカチオ)で、「共有する」「わかちあう」という意味だ。つまり、コミュニケーションは相互なものであって、一方的であってはならないのだ。と、いうことは会話が一方的な状況や、もしくは会話がなかったらそれはコミュ障になるのではないか、と考えた訳である。


まあ、僕に言わせれば自分を含め、多くの人が本当にコムニカチオ出来てるのかいささか懐疑的である。

意識高い系に意識高い系を紹介してもらい続けたら意識最高系に出会えるか。

今日のくだらない妄想は、みんな大好き意識高い系についてです。

意識高い系の人に、「あなたの思う1番意識高い人を紹介してくれませんか?」というのを続けたら意識最高峰の人間に会えるんじゃないか、と思ったのですが、どうなんだろう。


僕が思うに、意識のレベルっていうのはある程度までは一次関数的に増加していくんだけど、あるとこで飽和してしまうと思うんですよね。

というのも、知り合った社会人を見てると、学生的な意識高い系ってのはほぼほぼ淘汰されているという印象をよく受けるからです。

就活とかしてて、「社会貢献するぜ!!問題解決!うおお!」っていう特定のタイプのベンチャー企業は一定の割合で存在してる気はするんだけれど、思ったより多くはなくて学生のなかの意識高い系の割合よりはだいぶ少ないと思う。

おそらくだけど会社に入るとその色に混じってしまって意識高い系特有の個人の能動的な行動が減ってしまうのではないかと思います。もしくは、就活の場にはそういうイケイケ系はやってこないか。

つまりは、意識高い系は社会に出ると大体落ち着きを見せるのではないかってことです。

だから、意識高い系を渡り歩いていくと、学生の中での意識最高峰には会えて、社会人の中でもベンチャー企業の人とかには出会えるかも。
でも本当の意味での意識高い系、ホセ・ムヒカさんとかアウン=サン=スーチーさんとかは会えないでしょう。きっとね。



ところで意識高いってどういうことなんでしょうね?

押し殺していた「理解されたい」

昔から、図工の成績が悪かったのを覚えている。
5なんて取れたことなくて、良くて3とか。

だから、苦手意識がついた。僕は図工のセンスもないし、まったく評価されないんだ。


そうやって、何か物事に苦手意識を持ってしまって、人から評価されることを恐れるようになると、いつしか「ふん、他人の評価なんて知らないぜ」となってしまう傾向がある。それは経験則から学んだ。


まあ、なんやかんやで僕は人並み、いやそれ以上に絵を描いたり写真を撮ったり、ものを作ったりすることを愛するようになった。
時々無性にスケッチしたくなって絵を描くこともあるし、ポスターのデザインもしたくなるし、首に安いデジカメをぶら下げて写真を撮りに散歩に出ることもある。創作することが好きなんだと後から気づいた。

でもそれは、趣味であり、あくまで自己満足の範疇にとどまるものであった。そう、他人の評価なんて必要ない。自分のコップになみなみと水を注げれば十分なのである。


そんな訳で、僕の制作物はちょっとズレてるものが多くて、そのせいできっと図工の成績も悪かったのだと、今になればこそ分かった。
理解されないのだ、自分のコンセプトが。

だからこそ反発していたのだけれど、たまたま自分に正直になれたときがあって、その時の僕の心はこう言っていたのだ。
「理解されたい。全てを分かってもらえて、褒めて欲しい。受け入れてほしい」

それで、はっとした。
本心では理解されたいのだ。されたかったんだ。

割とビックリして鏡を見たのだけれど、そこにはいつもと同じ自分がいてちょっと安心した。


だから、今日言いたいことはこうだ。結局、人間は理解されたい生き物だ。
だから、それに正直になればいいじゃん。



ということで、今日はお開き。チャンチャン。

今日は雪の日だ

今日は雪が降っている

こんなに降らないと思ったのになぁ、とぼくは少し眉間にしわを寄せた。やれやれ。

本来は、今日は友達とお出かけする日だったはずなのに。雪がひどいから延期された。
悲しみの雨。

いやいや、今日は雪だったなと思い返し過去の自分に訂正、悲しみの雪。



雪にはどんな感情が似合うだろう?
僕はスターバックスで注文したキャラメルマキアートを片手に、そとをぼんやりと眺める。何も見てなかったけど。

自分の中では雪はまだまだ喜びの対象だ。
雪が降ると年甲斐もなく喜ぶ。体は大人、頭脳は子供。駆け出したくなる衝動にかられる。

だから、喜びの雪だ。と思ったけれど、しっくりこない気がしません?喜びは春でしょう、と。

じゃあ、何だろうな。
今日雪が降った時は、僕は誰かに伝えたいと思った。一緒にいる誰かに、リアルタイムで「雪だ!」と当たり前のことを大きな声で伝えたいなぁ。でも今日は一人で過ごしているから生で伝えられる人は居なかった。友達も家族も恋人もいない。人恋しくなる。

だから僕の導き出した答えは、「恋しさの雪」。

どうですかね?

今年もヴィレッジヴァンガードの福袋を買ってしまった

あけましておめでとう。今年もヴィレッジヴァンガードの福袋を買ってしまいました。

あけた瞬間に後悔。今年もヴィレッジヴァンガードの福袋を買ってしまいました。

はい、そんなわけで今日はヴィレッジヴァンガードの福袋と僕の長い歴史の話をします。

でも、福袋の中身は教えないです。
絶対に中身は教えてあげません。

あ、でも3,500円くれたら教えてあげます。
そしたらもう一個買えるもん。



さてところで僕は高校生の時からヴィレッジヴァンガードの福袋を買ってしまっている。

つまり、僕は高校生の時からヴィレッジヴァンガードの福袋を買って後悔しているのだ。


しかも高校生のときはお金なくてヴィレッジヴァンガードの福袋を買うために、友達とご飯行くのを断って帰宅していた。

つまり、僕の中では友達との数回の楽しいご飯よりヴィレッジヴァンガードの福袋を買った後悔の方が価値があったのだ。意味わかりません。


それでも、福袋らしい福袋を買えるのってもはやヴィレッジヴァンガードだけなんじゃないかな、と思って買ってしまいます。
だって、洋服の福袋はもはや福袋用に作られた服を入れてるだけだし、家電の福袋も割と中身が分かってる。

何が入ってるかまったく分からないというわくわく感を味わえるのは、この世知辛い現代においてもはやヴィレッジヴァンガードの福袋だけだ、と僕は思うのだ。


と、いうわけで僕はきっと来年も1月2日にヴィレッジヴァンガードに向かい、夢の詰まったゴミ袋を買うのだろうな。